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13年前の5月、師匠が突然逝った日

事故で世を去った玉川福太郎を思う(上)

玉川奈々福 浪曲師

豊子師匠からの急報、「アンタ大変だ」

 2007年5月23日。

 お昼ごろ携帯が鳴った。いつも私を弾いてくれている、曲師(浪曲三味線)の、沢村豊子師匠からだった。

 「アンタ大変だ、アンタの師匠があぶない!」

 何を言われているのかわからない。

 豊子師匠も慌てていたのだろう、いつにも増して話の順番がめちゃくちゃだ。

 よく聞くと、師匠・福太郎が故郷の山形県酒田で農作業中、事故にあって、病院に担ぎ込まれたという。田植え機の下敷きになったのだという。

 ……いったいどういうことか、そういわれてもわからない。

 とにかく、行かなければ。行かなければと思った。

 豊子師匠から病院名を聞きだして、私はすぐに向かいます、と伝える。

 早々に電話を切ると、膨大な数の着信履歴が残っているのに気づく。すべて公衆電話からだ。

 イヤな予感。

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筆者

玉川奈々福

玉川奈々福(たまがわ・ななふく) 浪曲師

横浜市生まれ。出版社の編集者だった94年、たまたま新聞で浪曲教室のお知らせを見て、三味線を習い始め、翌年、玉川福太郎に入門。01年に曲師から浪曲師に転じ、06年、玉川奈々福の名披露目をする。04年に師匠である福太郎の「徹底天保水滸伝」連続公演をプロデュースして大成功させて以来、数々の公演を企画し、浪曲の魅力を広めてきた。

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