笑福亭銀瓶(しょうふくてい・ぎんぺい) 落語家
1967年兵庫県神戸市生まれ。1988年 3月笑福亭鶴瓶に入門。2005年から韓国語による落語も始め、韓国各地で公演。2010年10月文化庁文化交流使として韓国に滞在。ソウル、釜山、済州で20公演約3500人を動員する。舞台『焼肉ドラゴン』、NHK朝ドラ『あさが来た』『わろてんか』『まんぷく』『スカーレット』に出演するなど、役者としても活動中。著書「銀瓶人語」vol.1~vol.3(西日本出版社)。
舞台は『新しい扉を開けるきっかけ』を与えてくれた
今から述べることは、あくまでも、私の考え、感じ方なので、これを読んだ噺家によっては、あるいは、お客様の中にも、「銀瓶さん、そんなことないよ。それは違うよ」と思われる方がいらっしゃるかもしれませんが、まあ、お付き合いください。
落語もお芝居も、どちらも『演じている』という点では共通するのだが、演じ方の『度合い』というか『色の濃さ』というか、そういうのが、お芝居と比べると落語の方が弱いような気がする。ちょっと分かりにくいかもしれないが、落語の方が『サラッと』していると言うか。
いや、もちろん、これは噺家によっても違いがある。また、我々の世界では、たまに、「アイツの高座はクサいなぁ」などと言って、『クサい芸』というのが存在する。同じ台詞でも、大げさな感じで言うとか、そういうものでしょうか。そして、これが不思議なのが、『クサくやっていても、クサく見えない噺家』と、『そんなにクサくやっていないのに、クサくやっているように見える噺家』と、いろいろある。その噺家が持っているキャラクターとか雰囲気が、そうさせるのかもしれない。
『クサい芸』。これは、良いとか悪いとかではない。その噺家の考え方や感覚であるし、また、お客様の好みでもある。
先に私が書いた、落語とお芝居における『演じ方の違い』というのは、この『クサい芸』とも、少し違う。
一席の落語を最初から最後まで全て、『お芝居のような感じ』『お芝居のようなテンション』『お芝居のような気持ちの乗せ方』でやってしまうと、聴く側がちょっとしんどいと言うか、それはもう『落語ではない』ような気がする。
落語は『想像の芸』なので、演劇のようにリアルに色濃くやってしまうと、お客様が『逆に想像できない』ということがある。状況によっては、感情の込め方をサラッとさせた方が、お客様の頭の中に絵が浮かぶ。
上記の私の考えを踏まえて、もう一度、2008年の『焼肉ドラゴン』の話に戻る。
その時点で、私の芸歴は20年。前述した『(私なりの)落語における演じ方』が染みついていた。それ故、知らず知らずのうちに、自分の中で『ブレーキがかかっていた』のかもしれない。
稽古中に鄭さんから指摘された「すみませんでした」という台詞は、芝居の本番が始まってからも、毎日のようにダメ出しを受けた。時々、「今日のは良かったですよ」と言われることもあったが。
4月の東京公演、5月の韓国・ソウル公演を終え、久々に落語をする時、それまで考えもしなかったことが私の脳裏をよぎった。
「高座でも、あの『すみませんでした』の感じで、やればイイんや。いや、やってエエんや」。
●YouTube:落語家 笑福亭銀瓶のぎんぎんチャンネル
●HP:笑福亭銀瓶公式HP
★新国立劇場[巣ごもりシアター]おうちで戯曲
※5/7(木)から、舞台「焼肉ドラゴン」(2016年バージョン)の戯曲が配信されています(2週間限定)。
論座ではこんな記事も人気です。もう読みましたか?