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カミュの『ペスト』を読む(2)――疫病がもたらす無残な惨禍

藤崎康 映画評論家、文芸評論家、慶応義塾大学、学習院大学講師

 アルベール・カミュの『ペスト』では、ペストの感染が広がるなか、仏領アルジェリアのオラン市は外部から遮断された隔離状態に置かれる。いわば、市全体が病原体の巣窟のような巨大クルーズ船状態になるのだ(強権発動によってロックダウン(封鎖)された、中国・武漢市や西欧の諸都市が連想される)。

アルベール・カミュ『ペスト』(新潮文庫)
アルベール・カミュ『ペスト』(新潮文庫)
 そうしたペスト禍に陥ったオランの光景や市民たちの姿についても、カミュは卓抜な筆致でこう記す――人々が処せられたのは、いわば「自宅への流刑〔隔離〕であった」(『ペスト』宮崎嶺雄・訳、新潮社、1969、105頁、以下の引用も同書による)。「……この四日間に、熱病は(……)驚異的な躍進を示した(……)。これまでは、不安をずっと冗談に紛らしてきた市民たちも街頭で見受ける姿がうちしおれ、ひっそりとしてきたように思われた」(93頁)。「……市民たちがこの突然の流刑になんとか対処しようと試みている間に、ペストのほうは市の出入口に衛兵を配置し、オランに向って航行していた船舶に針路を転じさせていた。閉鎖以来、一台の乗物も市内にはいって来なかった。(……)港もまた、大通りの高みから眺めるものの目に、異様な外観を呈していた。そこを沿岸最大の港の一つたらしめていたいつもの活気は、にわかに消えてしまった。(……)埠頭(ふとう)には、装置をはずされた大きな起重機、横っ倒しになったトロッコ、樽(たる)や袋のひっそりした山などが、商業もまたペストで死んだことを表明していた」(111頁:引用部分の第1行目で、ペストが人間に戦争を仕掛ける<敵>として、擬人化/主語化されていることにも注意)。いずれも、コロナ禍における、日本そして世界の状況と二重写しになるような描写だ。

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 さらに、ペスト流行の第6週には、感染による死者は345名を数えたが、その時期に及んでもなお、危機感を持てない市民たちの奇妙な様子はこう書かれる――「〔死者数の〕相次ぐ増加はともかく雄弁であった。しかし、それも十分力強いものであったとはいえず、市民たちは不安のさなかにも、これは確かに憂(うれ)うべき出来事には違いないが、しかし要するに一時的なものだという印象を、依然もち続けていたのである。/彼らはそんなわけで相変わらず街頭を練り歩き、カフェのテラスで卓を囲んでいた。〔総じて彼らは〕……愚痴よりも冗談のほうを多くいい合い、(……)一時的なものとわかっているさまざまの不自由を機嫌よく受け入れようとするそぶりを示した。外観だけはともかく保たれていたのである」(113頁)。

 とりもなおさず、市民たちの楽観的な言動が、不安の裏返しという無意識の防衛機能を含んでいることを、カミュは巧みに描いているが、こうした不安と楽観の入り混じる市民たちの集団心理も、目下の――“自粛”を“要請”されるという相反状況(ジレンマ)に置かれた――私たちのそれと大同小異だろう(「自粛の要請」とは、人命より経済を優先する、巧妙な自己責任論にもとづく施策ではないか)。

感染爆発後の人々の心理

 だが一方で、ペスト禍の深刻化は、市民の生活と町の外観を一変させてしまう。食料やガソリンの補給は制限され、電気の使用も制限され、必需品だけが陸路と空路によってオランに届けられる。車の運行は皆無に近くなり、商店も次々と閉じていく。映画館はフィルムの配給網が絶たれたため、いつも同じ映画を映写することになり(113~114頁)、さらに旅行者がオランに寄りつかなくなったことが、観光業の息の根を止める(168頁:リアル/現在的な状況だ)。

 市民の間では、ただの不機嫌だけが原因の喧嘩も起こり、その不機嫌は慢性的なものになっていく(174頁)。また、当局は市民の暴動を恐れて警備隊による警戒を強め、市民が市外へ出ることを固く禁止し、違反者には投獄の刑が処せられる旨が布告される(163頁)。そして、6月の終わりには死者数はうなぎ上りに増加し、週700名を数えるに至る(162頁)。

 しかしこうした状況は、ペスト流行のまだ序の口であった。

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