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師匠が空に消えた、13年前のあの日

事故で世を去った玉川福太郎を思う(下)

玉川奈々福 浪曲師

「鹿島の棒祭り」稽古してもらうはずが

拡大口演する玉川福太郎=森幸一撮影
 息子たちは現実が受け入れられない。太福は、ぼうっと、暗い廊下で一人で考え込んでいる。

 各方面へ連絡。協会。新聞。

 最後に会ったのは、5月9日だった。赤坂の某クラブで浪曲。みね子師匠のご都合が悪くて、私が弾かせてもらった。「中村仲蔵」と「天保水滸伝 鹿島の棒祭り」の二席。私はそのとき、「鹿島の棒祭り」を師匠にお許しいただき、覚えている最中だった。

 「玉川の子なんだから、『天保水滸伝』一席くらいはできないとな」

 だから「棒祭り」を弾けるのは嬉しかった。

 曲師というのは特権的な存在だ。師匠の浪曲を特等席で浴びるように聞ける。入門して12年。相変わらず三味線はあんまりうまくなくて、なのに、こんな三味線に、そのとき師匠はいっぱいギャラをくれた。ご贔屓(ひいき)さんの車で、駅まで送ってもらって、下りる間際に師匠は、ひとこと「ありがとうな」と言ってくれた。

 それが、最後の言葉。

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筆者

玉川奈々福

玉川奈々福(たまがわ・ななふく) 浪曲師

横浜市生まれ。出版社の編集者だった94年、たまたま新聞で浪曲教室のお知らせを見て、三味線を習い始め、翌年、玉川福太郎に入門。01年に曲師から浪曲師に転じ、06年、玉川奈々福の名披露目をする。04年に師匠である福太郎の「徹底天保水滸伝」連続公演をプロデュースして大成功させて以来、数々の公演を企画し、浪曲の魅力を広めてきた。

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