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コロナ禍の今「パンデミック文学」の古典を読む(上)

『ペスト』『デカメロン』『赤死病の仮面』

駒井 稔 編集者

「死を忘れるな』が木霊する『デカメロン』

 ペストに関連してよく知られているもう一つの文学作品は、ジョヴァンニ・ボッカッチョ『デカメロン』(平川祐弘訳、河出文庫)でしょう。この作品は、文学青年たちが、奔放なエロティシズムを楽しむ作品だという印象がありました。しかし、この状況下で最初の部分を読み直してみると、これは実に示唆に満ちた、予言的な小説であることが分かります。

 この書名『デカメロン』は、ご存じの方も多いとは思いますが、「十日物語」という意味で、その名の通り男女10人がペスト禍に見舞われたフィレンツェ市を逃れ、10日にわたって郊外の家でそれぞれが自分の持っている物語を披露するという設定になっています。しかし「第一日まえがき」で語られるのは、信じられないようなペストの惨状です。

1348年のイタリア・フィレンツェで流行したペストの様子。ボッカッチョの「デカメロン」の挿絵=英ウェルカム・コレクションから拡大1348年のイタリア・フィレンツェで流行したペスト禍の様子。ボッカッチョ『デカメロン』」の挿絵=英ウェルカム・コレクションから

 1348年、はるか遠くオリエントで発生したペストがフィレンツェ市にも来襲すると、市当局によって徹底的な対策が取られ、人々は神に熱列な祈りを捧げます。しかしながら、ペストは春ごろから勢いを増しました。「ガヴォッチョロ」と呼ばれる腫物が、人々の股の付け根や脇の下にできるようになったのです。これが出たら間違いなく死ぬことになります。薬も医学的な処置もありませんし、ほんの少しの接触が感染につながります。

 「時には妻も夫を顧みなくなりました。そればかりか信じがたいことですが、父親や母親が子供を、世話をするどころか、そんな子供はいないかのように、面倒も見ずに避けて通ったのです」

 極限状態に置かれた人間のありさまを描いた部分は衝撃的です。その後に始まる艶笑譚は、背後にペストが猖獗(しょうけつ)を極めるフィレンツェ市があることを常に意識しながら読まないと、違和感すら覚えそうです。しかし、そこには常に「メメント・モリ」、すなわち「死を忘れるな」というラテン語の格言が木霊(こだま)していることが、この『デカメロン』を不朽の名作たらしめている重要な要素だと思います。

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筆者

駒井 稔

駒井 稔(こまい・みのる) 編集者

1979年、光文社入社。1981年、「週刊宝石」創刊に参加。1997年に翻訳編集部に異動になり、書籍編集に携わる。2004年に編集長。2年の準備期間を経て2006年9月に古典新訳文庫を創刊。「いま、息をしている言葉で」をキャッチフレーズに古典の新訳を刊行開始。10年にわたり編集長を務めた。筋金入りの酔っ払いだったが、只今禁酒中。1956年、横浜生まれ。