閉じた劇場から「演劇の有効成分」を届ける
静岡「くものうえ」演劇祭を通して考えたこと(上)
宮城聰 演出家、SPAC-静岡県舞台芸術センター芸術総監督
「ふじのくに」を「くものうえ」へ

「くものうえ↑↓せかい演劇祭」のロゴマーク
人が生きるには「精神への水分補給」も必要です。そして、ある人たちにとっては演劇が精神の水であり、それが絶たれると精神が枯れてしまう、つまり「人間として生きている」とは言えない状態になってしまう、ということです。精神が枯れると、実際生命力も衰え、またうつ病や自死にもつながります。このように演劇を命の水として生きながらえている人は多数派ではありませんが、確実に存在しています。
ただ、その存在が、あまりにも一般に知られていない。それが知られていないなかでは、アーティストの主張はまるで自己保身のように見えてしまって届かない。
ではこのタイミングで、どういうアクションを起こせば、「この世には生きるために演劇を必要とする人達が存在するんだ」という認識を広めることができるのか。「ふじのくに⇄せかい演劇祭」を中止する際にわれわれはそこを考え、そして議論の末にこう決めたのでした。
「ふじのくに⇄せかい演劇祭」を中止する代わりに「くものうえ↑↓せかい演劇祭」を開催しよう。
リアルな劇場が封鎖されたなら、クラウド上で国際フェスティバルをやろう。演劇という「カニ」が手に入らないなら、そのかん、「カニカマボコ」を発明して生き延びようじゃないか!
もし演劇祭を中止して単に過去作品の記録動画を配信するだけになったら、世人からの「劇場って、趣味を同じくする“余裕派”のサークルなんだろうね。自分たち“ギリギリ派”には無縁な場所だな。閉まっても誰も困らないからとうぶん自粛してもらおう」という先入観をなんら覆せないばかりか、むしろそれを裏打ちしてしまうという危機感がわれわれを駆り立てました。なるべくジタバタしよう、おとなしくしてちゃいけないぞ、と。