『ペストの記憶』『白の闇』「流行感冒」
2020年05月22日
前回に引き続き、世界文学における疫病をテーマとした優れた古典作品を紹介しましょう。
誰もが知っている『ロビンソン・クルーソー』がイギリス文学史上、初めての小説であることをご存じですか。作者のダニエル・デフォーが59歳の時に初めて書いた小説です。『ペストの記憶』(武田将明訳、研究社)は、1722年、デフォーが62歳の時に刊行されています。ロンドンをペストが襲ったのは1665年。デフォーは当時5歳です。
これは創作といえば、そうなのですが、当時の公的文書や記録を基に再現された克明な描写や細かな数字など、ルポルタージュの体裁を備えているので、うっかりすると、これはデフォー自身が見聞したことかと錯覚してしまいます。この作品には語り手がいて、一人称で物語は進んでいきます。毎週増えていく死亡報告が数字として残されていますので、まるで小池都知事の会見を見ているような気分にもなってきます。
ペストの流行に対して、ロンドン市長と区長が定めた条例が引用されていますが、患者の隔離やその家屋の閉鎖についての条例は今日でもほとんどそのまま通用する部分が多いのにも驚きます。特に芝居、宴会、店での飲酒を禁じる条例を読むと、ちょうど自粛を要請されている我が国の現状を思い浮かべない人はいないでしょう。ペストに感染していることに気づかず、突然路上でバッタリ倒れて死ぬ人がたくさんいたことも他人事として読むことができません。そしてこの恐るべき状況下でも、盗みなどの悪事を働く人間たちはいたのです。
ロンドンでは、8月22日から9月26日までのたった5週間でペストを中心とした死者が4万人に達しました。死亡週報に載った週単位の細かい数字も挙げられています。それにしても17世紀にこれほど克明な記録が取られていたことは、驚異としか言いようがありません。やがてペストの終焉を友人のヒース博士が告げます。9月の最終週に死者が2000人減少したこと。発病後に2、3日で死んでいた患者が8日から10日は生存するようになり、5人に1人しか回復しなかったのが、5人に2人も亡くならない。
「まあ、見ていてください、わたしの言ったとおり、次の死亡週報の数字は下がるでしょうし、前よりも多くの人たちが恢復するようになりますよ」
このヒース博士の言葉は、カミュの『ペスト』におけるパンデミックの終焉と同じ印象を与えます。その言葉通りペストは終息に向かいますが、ロンドンを襲った疫病が奪った命は10万。この物語はH・Fという署名で終わります。もちろんデフォーの名ではありませんが、これは想像力が豊かな人間が書いた架空の物語ではないことはお分かりいただけるでしょう。
訳者の武田さんは解説で次のように述べています。
「一七二二年という、まだ世界が近代に入り始めたばかりの時期、アメリカ独立もフランス革命も経験していなかった時代に、すでに市民が市民を管理するという自律的な権力の抱え得る問題点を理解し、ペストという壊滅的な危機を媒介にして、その光と闇を描き切った点にこそ、本書の普遍的な価値があるのだ」
ポルトガル文学からも1冊ご紹介しましょう。コロナが騒がれ始めてから、この『白の闇』(雨沢泰訳、河出文庫)に言及する記述を見ることが多くなりました。ジョゼ・サラマーゴという作家が書いた長編小説です。
大臣の決断で、治療法が見つかるまで、そしてワクチンが開発されるまでは、感染した人間を隔離することが決められます。もし伝染病であるならこれから拡大していくことは間違いない。空っぽの病院に失明した医者とその妻、最初に失明した男、医院の待合室にいた娘と少年と車を盗んだ男の6人が送られます。突然盲目になった彼らにはトイレに行くことすら大仕事です。
さらに最初に入れられた6人と接触があった人々が運ばれて同部屋に収容されます。それから軍隊に監視される生活が始まりますが、実はその中にたった一人目が見えている人間がいました。医者の妻です。彼女はすべてをその目で見て、夫に報告をします。飢えと恐怖に満ちた収容所生活は壮絶の一語に尽きます。
やがて収容所はごろつきたちに支配されるようになり、食料のために女性を差し出すというところまで追い詰められますが、火事が起こり、一同は逃亡に成功します。
街に戻った医者のグループは、目の見える妻のお陰で何とか生活をしていくことができました。といっても食料を手に入れるだけでも大変ですし、自分が住んでいた家に戻りたいと考えても、すでにそこは廃墟のようになっていて、街には失明した人間が溢れています。皆で訪れた医者の家には少し食料がありました。残っていた本物の飲料水を飲んだ時、感動のあまり人々は泣き出します。エンディングはこの小説にふさわしい見事な終わり方をしますが、あえて触れないでおきましょう。
この作家の文体は独特で会話のカギ括弧を一切使いません。ですから改行もほとんどないので、慣れるまでは読みにくいかもしれませんが、物語に引き込まれると、最後は全く気にならなくなります。しかも登場人物には一切名前がありません。
感染症というメタファーを使いながら、独自の文学的な世界を構築した手腕は見事です。サラマーゴは1998年、ポルトガル語圏では初めてのノーベル文学賞を受賞しました。訳者あとがきにもあるようにウィリアム・ゴールディングの『蝿の王』を彷彿とさせる傑作だと思います。
さて、最後に日本の作品を取り上げましょう。志賀直哉の「流行感冒」(『小僧の神様 他十篇』所収、岩波文庫)です。1919年に発表された短編です。この作品の存在は近代文学を専門にする国文学者から教えていただきました。ちょうど日本にスペイン風邪と呼ばれたインフルエンザが上陸、40万を超すとも言われた死者を出した最中に書かれた作品です。
作家である「私」は最初の子供を亡くしているので、幼い女の子を神経質すぎるくらい大事に育てています。やがて「私」の住む我孫子にもインフルエンザはやってきました。この家には「石」と「きみ」という名の「女中」がいますが、この「石」が「私」の禁じた夜の芝居に出かけてしまうのです。
今回のコロナと同じ「密」な空間に行くことを厳に戒めていたにもかかわらず、「石」は出かけてしまいます。芝居には行かなかったと嘘を言う石に、「私」はインフルエンザが移るのを恐れ、大事な子どもを抱かせません。「石」に暇を出そうということになるのですが、妻のとりなしで首がつながります。それから3週間、流行性感冒も大分下火になってきますが、出入りの植木屋からなんと「私」自身が移ってしまうのです。
「四十度近い熱は覚えて初めてだった。腰や足が無闇とだるくて閉口した」
翌日にはよくなったのですが、今度は妻に移り、女中の「きみ」にも感染。とうとう可愛い娘にも移ってしまい、健康なのは「石」とすでに罹患して免疫のある看護師だけになってしまいます。この時、「石」はとてもよく働いたのです。「私」が最初の感染者になって家族に移したのに、「石」はそれを責めるそぶりもなく働いてくれました。
当時はまだウイルスの存在さえ知られていなかったことを考えると、「私」の対応の的確さがとても印象的です。短編小説としても読後に静かな余韻の残る、味わいの深い作品だと思います。
私は昨今見かけるようになった「このコロナの時代に文学に何ができるか」という問いかけに強い違和感を抱いてしまいます。このような問いかけは大きな自然災害や政治的事件が起きるたびに繰り返されてきました。人々が文学に望むものは安直な答えではないはずです。ここに紹介した作品は、それぞれが永遠の命を持つ古典作品であると思います。今こそ読んでみませんか。
*ここで紹介した本は、三省堂書店神保町本店4階で展示・販売しています。
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