静岡「くものうえ」演劇祭を通して考えたこと(下)
2020年05月27日
静岡県舞台芸術センター(SPAC)は2020年4月25日~5月6日、コロナ禍で開催できなくなった「ふじのくに⇄せかい演劇祭」に代わって、「くものうえ↑↓せかい演劇祭」を実施した。参加予定だった海外5カ国の劇団とSPACの映像配信やZoomでのトーク、俳優やスタッフが発案した多彩な企画などを通じて、劇場に集まることができない状況の中で、どうにかして「演劇の中の有効成分」を届けようとする試みだった。その活動を通して考えたことを、芸術総監督の宮城聰さんがつづった後編です。
さて、前回お伝えした「くものうえ↑↓せかい演劇祭」の対談シリーズで、僕は5人の演出家とZoomで対話をしました。
レバノン出身のカナダ人で、いまパリのコリーヌ国立劇場のディレクターをつとめているワジディ・ムアワッドを皮切りとして、コロンビア出身でスイスのクレベール=メロー劇場ディレクターのオマール・ポラス。ブラジル在住でベルギーにも創作拠点を持つクリスチアーネ・ジャタヒー。フランス・アヴィニョン演劇祭のディレクターであるオリヴィエ・ピィ。モスクワのゴーゴリ・センターのディレクター、キリル・セレブレンニコフの5人です。
この対談シリーズを思いついた4月あたまの時点では、僕は(かつて演出家アントナン・アルトーがペストについて演劇的な考察を残したように、)21世紀をまるで中世に引き戻してしまったかのような新型コロナウイルスというものについて、それぞれの哲学的な考察、「こんにちの人類にとってCOVID-19とは何なのか」を聴きたいと思っていました。
ところが、そこから3週間経って、ワジディとZoomで話し始めたとき、僕はからだからじわーっと湧き上がるような嬉しさを感じたのでした。この、ほとんど生理的と言ってもいい「嬉しさ」はどこから来たのか? 5人との対談で、そのたびに僕はこの感覚を味わい、次第にその中身がわかってきました。
それは、「いつの間にか僕自身が二項対立の思考に陥っていた」ことへの気づきです。
コロナ禍の進行に伴い、国と国の壁がひどく高くなり、国をまたぐ移動が極めて困難になりました。一国の中でも地域間の移動が減り、国民・住民は、自国・自地域は他に勝(まさ)ってると思いたいがために「強いリーダー」を欲し、統治者もそこに乗じて地域ナショナリズムを煽(あお)り、支持を盤石にしようとしています。実際、アジアのいくつもの国でその統治者のふるまいは成功を収めています。
「新型コロナという共通の敵」と闘うには世界が手を結ばねばならない、と誰もが思っているはずなのに、実際には「コロナ後の覇権を狙った他国援助」のような動きばかりが目について、本物の「国境を超えた連帯」は見えてこない。
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