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初めて小説化された平安時代のプレイボーイ、在原業平の生涯(前編)

『小説伊勢物語 業平』を上梓した髙樹のぶ子と万葉学者上野誠の含蓄対談

丸山あかね ライター

 新型コロナウイルス感染対策による外出自粛中の5月13日、一冊の本が出版され、注目を集めている。(日本経済新聞出版本部・日経マーケティング発売)。90パーセントの書店が閉じられている中、発売から1週間で重版と幸先の良いスタートを切った。

さまざまな恋による感動が綴られる物語

 周知のように、『伊勢物語』は平安時代初期に成立した全125 章段からなる歌物語だ。

画・大野俊明

月やあらぬ春や昔の春ならぬ 我が身ひとつはもとの身にして(※ああ。この月はいつぞやの月とは違うのか。この春は去年の春ではないのか。何も変わらぬ月や春のはずなのに。わが身だけが元のまま、あの御方を思い続けているせいで、月や春さえ、昔とは違ってしまったようにさえ思えてしまうのです)

かきくらす心の闇にまどひきに 夢うつつとはこよひさだめよ(※お別れした悲しみで私の心はまだ闇の中、お逢いしたのが夢であったか現実であったか、今晩お見えくださり、明らかにいたしましょう。どうぞどうぞ来てくだされ)

髙樹のぶ子著『小説伊勢物語 業平』(日本経済新聞出版本部・日経マーケティング発売)

 『伊勢物語』は『在五が物語』『在五 中将 物語』『在五中将日記』といった別名を持つが、「在五」「中将」とは在原業平のこと。大半が「むかし男、ありけり」と始まる伊勢物語の主人公は業平である、あるいは作者は業平である、という説が有力だ。

 いずれにせよ、描かれているのは、阿呆親王を父に持つ雅な、そして容姿鍛錬な男が15歳で元服してから56歳で人生の幕を閉じるまでに出会った女性達との恋模様。

 初々しい恋、華やかな恋、艶めいた恋、奔放な恋、切ない恋、憐れな恋、禁断の恋……。さまざまな恋を通して主人公が経験する感動が綴られている。

 この歌物語を小説に仕立てあげ、現代によみがえらせた作家の髙樹のぶ子氏と、歴史学や考古学、民俗学を取り入れた研究で文学界に新風を送る万葉学者の上野誠氏との、含蓄とユーモアに富んだ対談を前編・後編に分けてお届けしたい。

髙樹のぶ子さん(撮影・花井智子)

髙樹のぶ子 たかぎ・のぶこ
1946年、山口県生まれ。80年『その細き道』で作家デビュー。84『光抱く友よ』で芥川賞、94年『蔦燃』で島清恋愛文学賞、95年『水脈』で女流文学賞、99年『透光の樹』で谷崎潤一郎賞、2006年『HOKKAI』で芸術選奨文部科学大臣賞、2010年『トモスイ』で川端康成文学賞受賞。芥川賞をはじめ多くの文学賞の選考にたずさわる。2017年、日本芸術院会員。2018年、文化功労者。ほかの著作に『マイマイ新子』『百年の預言』『甘苦上海』『ほとほと』『明日香さんの霊異記』など多数。

上野誠さん(撮影・花井智子)

上野 誠 うえの・まこと
1960年、福岡県生まれ。國學院大學大学院文学研究科博士課程後期単位取得満期退学。博士(文学)。現在、奈良大学文学部教授(国文学科)。研究テーマは、万葉挽歌の史的研究と万葉文化論。第12回日本民族学会研究奨励賞、第15回上代文学会賞受賞。『魂の古代学―問いつづける折口信夫』にて第7回角川財団学芸賞受賞。その他の著書に『万葉文化論』『万葉挽歌の心―夢と死の古代学』『日本人にとって聖なるものとは何かー神と自然の古代学』『万葉集から古代を読みとく』など多数。近著に『万葉学者、墓をしまい母を送る』

平安時代なら「コロナ離婚」はあり得ない?

上野 「あとがき」まで入れて458ページ。大作ですね。あまりの面白さにページをめくる手が止まらず、二晩で読んでしまいました。たちまち読者を平安時代の後宮に迷い込ませてしまう。そういう不思議な力のある小説だと思います。

髙樹 ありがとうございます。

上野 それにしても発売のタイミングが……。

髙樹 そうなんです! 新型コロナウイルス感染拡大の影響で予定通りに出版できるのかとヒヤヒヤしました。「世の中、何が起こるかわからない」と口では言っていたけれど、こういうことが起こるとはねぇ。それこそ「事実は小説より奇なり」を地でいくような展開だなと。

上野誠さん(撮影・花井智子)
上野 SFかホラーかみたいなねぇ。でも実のところ僕は、『小説伊勢物語 業平』という作品にふさわしいタイミングでの発売になったなという気がしているんです。

 これは多くの人が言っていることですが、新型コロナウイルスはパンデミック後にパラダイムシフトをもたらすと。実際、人々の様々なことに対する価値観がガラリと変わりましたよね。闇雲に進化することに疑問を抱き、立ち止まるというか、もっと言えば温故知新に目覚めた人が少なからずいるはずで。

髙樹 それはそうでしょうね。たとえばメールは確かに便利ですが、すぐに返事が来ないと不安になってしまう現代人は不幸。待つというのが一つの愛のカタチなのに、待てないというのは心が貧しいのです。電話のなかった時代は手紙を認(したた)めていたのだから、相手の気持ちを確認するまでにタイムラグが生じる。でも、だからこそ情感を育むことができたわけで。業平の時代の男女は、歌のやりとりを通じて自分の中にある想いを熟成させていたのだろうなと思います。

上野 特に業平は歌詠みの名手だった。そりゃあモテますよね。平安時代は相手の顔を見ないで歌のやりとりで恋に突入するわけで。しかも皇族の血を引くサラブレッドで、会ってみたら超イケメンでと、見事な男子なんですから。

髙樹 「通い婚」という当時の文化が「恋」と相性がいいということもあるのです。男性はあちこちの女性を訪ねて伴寝し、夜明け前に退出するのが慣わしでしたが、男女の仲は別れ際に「もっと一緒にいたい」と情念の余燼がくすぶっているくらいが丁度いい。それでいて当時は、女性が男性に対して所有欲を抱くという発想そのものがなかったのではないかなと。

上野 束縛がないって最高だなぁ(笑)。なにより諍いのない関係性というのがいいですね。

髙樹 「恋は時間には勝てない」というのが持論ですが、

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