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劇場と行政との関係を問い直す【上】

ロームシアター京都での出来事を他山の石に

橋本裕介 ロームシアター京都プログラムディレクター

混乱の中で始まった新年度

ロームシアター京都=京都市左京区

 私は現在、京都市にある「ロームシアター京都」という市立劇場で、「プログラムディレクター」という仕事をしている。新型コロナウイルスの感染拡大によって、劇場は4月10日から5月19日まで閉館した。ようやく再開場はしたが、2月末以降、予定していた自主事業13本が中止や延期を余儀なくされた。

 こうして2020年度は混乱の中で始まったのだが、実は、劇場はその数カ月前から、大きな問題を抱えていた。1月に発表された館長人事をめぐって、劇場と京都市に様々な批判や疑義が寄せられていたのだ。結局京都市は、館長就任を1年延期したが、その1年間でどのような信頼回復をするか、まだ道筋が明らかになってない。

 今の京都で起きていることは、日本の芸術文化行政に潜む様々な課題と深く結びついていると私は考えている。

 外からは見えにくい問題だが、公立文化施設と地方自治体の関係をはじめ、広く議論すべきことが多くある。他の地域に人々に「他山の石」としてもらうためにも、当事者の一人として現状を整理し、考えを述べたいと思う。

(作品写真は、ロームシアター京都を中心に開催されている「KYOTO EXPERIMENT 京都国際舞台芸術祭」で発表された舞台から)

信頼回復のために延ばされた館長人事

マレーシアのマーク・テが演出した『Baling(バリン)』。60年前と現代を往還しながら自国の現実を舞台化した=2016年、井上嘉和撮影

 ロームシアター京都は「文化芸術の創造・発信拠点として、文化芸術都市・京都の名を高め、京都のまち全体の発展に寄与することを目指して」をコンセプトにつくられた大小三つのホールを備えた劇場である。

 1960年に「京都会館」として建てられ、50年にわたって市民に親しまれてきたが老朽化が進み、2016年1月に再整備を経てリニューアル・オープンした。京都市を本拠とするローム株式会社の50年間のネーミングライツの対価50億円を再整備費用の一部に充てた。現在は、公益法人京都市音楽芸術文化振興財団(理事長・長尾真=元京都大学総長)が指定管理者として運営している。

 劇場には、市民からプロモーターまで様々な主催者に会場を提供するいわゆる貸し館業務と、劇場が独自に企画制作する自主事業があり、同財団職員である私は、後者の責任者である。

 問題となった新館長の人事の経緯は以下の通りである。

 京都市と財団は1月に記者会見を開き、京都を拠点とする劇団「地点」を率いる演出家の三浦基氏が2020年4月1日より、ロームシアター京都の新館長に就任すると発表した。

 しかし、この時点で地点は、パワハラを受け不当解雇されたという元劇団員の訴えによって、「映演労連フリーユニオン」と団体交渉中であった。そのため、「パワハラの疑いのある人物を公共劇場の館長という大きな権力を持つ立場に据えるのは、市と財団の人権意識があまりに低いのではないか?」と疑問の声が上がり、演劇人たちから公開質問状が提出された。20年度の主催事業に参加を予定していた複数のアーティストからも、保留や辞退の可能性があるとの意思表明がなされ、劇場運営にも影響が生じた。

文化芸術施設が抱える三つの問題

池田亮司の 『the radar[kyoto]』。ロームシアター京都の中庭に巨大なスクリーンを設置し、その地点から観測できる宇宙のデータを音声と映像で表現した=2016年、浅野豪撮影

 交渉事案は、3月5日に三浦氏が「元劇団員が結果として精神的苦痛を受けたことを理解し、陳謝」するなどして、地点とユニオンとの間で解決に至った。

 ただし京都市は、この間のプロセスや影響を鑑み、信頼回復の取り組みを行うため、三浦氏の就任を1年延期すると3月19日に発表。それを受けて4月1日からは、市の文化行政のトップである北村信幸・文化芸術政策監が兼職する形で館長に就任した。

 当財団の処務規定でロームシアター京都の館長は、財団会長である京都市長の推薦により、財団理事長が任命すると定められている。

 京都市は、この1年を信頼回復の取り組みに充てると発表した。しかし、誰の何に対する信頼回復か、そもそも何が信頼を損ねたのかということは明らかにしていない。

 そこがはっきりしなければ、取り組みも生産的なものにはならないだろう。

 私は、本件がはらむ問題点は大きく言って三つあると考えている。

 ① 行政が、自分たちの判断に誤りはないと思い込む「無謬(むびゅう)信仰」

 ② 文化芸術施設における指定管理者制度

 ③ 芸術(とりわけ集団創作を行う舞台芸術)におけるハラスメント問題

 これを一つずつ考えてみたい。

 行政は正しい、思い込みの危険

アルゼンチンを拠点にする振付家ルイス・ガレーが京都で制作した『Elugar imposible(不可能な場所)』。観客は数十人のダンサーの間を動きながら鑑賞した=2016年、松見拓也撮影

 市民の暮らしを守るはずの行政のリスクヘッジが甘く、最悪の事態に備えるのではなく、希望的観測をもとに対策を講じ、その決定へ突き進み、批判されれば「問題ない」「批判には当たらない」と強弁する事態が、最近いろいろな場所で起きている。

 いち早くリスクを察知し、慎重な手続きを重ねて進めていくのが、民間と異なる行政のあり方ではなかったか。

 私が舞台芸術を通じて行政と関わり始めた十数年前は、しばしば行政側から手続きの不備や、準備の甘さなどを指摘され、「芸術分野のルーズさで公的資金や公的施設の事業に関わってもらっては困る」と叱られたものだ。

 今回、市と財団は、三浦氏へ新館長就任を打診した際に、「パワハラの事実はなく、誠意をもって解決するので心配しないでほしい」との説明を受け、「交渉事案が解決されることを前提に就任をお願いしてきた」との認識を示している。

 これには二つ問題点があると考える。

 一つ目は、市民のパワハラへの意識を低く見積もり、「交渉事案が解決されることを前提に」という希望的観測が通用すると考えていたこと。「すべての人の人権を大切にする共生社会の実現を目指して」と京都市の広報発表にあるように、事態をもっと慎重にとらえていたら、就任発表は解決まで待つなど、何らかの軌道修正ができたはずだ。

 もうひとつは(これが重要なのだが)、市が三浦氏側の説明だけを聞き、対立する意見を持つ相手の主張を事実上無視してしまったことだ。

 相手もまた、広い意味での市民である。これにより、「解決される」という市と財団の希望的観測を押し通す形になり、周囲の懸念を大きく広げてしまった。

 にも、かかわらず、就任延期の発表も「信頼回復に向けた取組を確実に実施するため、三浦氏の館長就任を1年延期する」と、再び、1年後には信頼が回復しているという希望的観測を前提にしている。

 劇場などの文化施設は、多様な考え方や価値観が交差することで、社会にレジリエンス(回復力、弾性)をもたらし、豊かにする機能があるとされる。とりわけ税金をはじめとする公的な資金を用いる公立劇場は、民間劇場でも十分成り立つ多数派の声やポピュラーなものを補完する上でも、小さな声、少数派の声にも応える内容を行なう必要がある。

 もしかすると、まだ生まれていない声、つまり未来の住人に対して何ができるかも考えるべきで、不確実さを伴うことへの謙虚さが求められる。そういう場に、「行政のやることは正しい」という強気の姿勢を持ち込むこむことは市民感覚に反し、信頼回復に逆行するものだと考えずにはいられない。

 ※文化施設の「指定管理者制度」などを論じる後半は6月8日午前10時に公開予定です。