恐怖と魅惑のヒッチコック特集! 英国時代の最高作『三十九夜』
藤崎康 映画評論家、文芸評論家、慶応義塾大学、学習院大学講師
映画作家ヒッチコックの原点『三十九夜』
■『三十九夜』(1935、英、6月6日から上映)
「映画とは、人生から退屈な部分を差し引いたもの以外にありえようか」。このヒッチコック自身の言葉を、彼がそのまま映画にしたような、“巻きこまれ型”サスペンスの最初の傑作。けだし『三十九夜』では、殺人犯に“間違えられた”無実の主人公が、金髪美女/“ヒッチコック・ブロンド”を道連れに、犯罪組織と警察の両方から追われ、またみずから真犯人を追うという物語形式が、すでに一分の隙もなく完成されている。その点でも、英国時代ヒッチコックの最重要作の1本だ(こうした<追いつ追われつ>の物語パターンは、『第3逃亡者』(英、1937、今回上映)、『逃走迷路』(米、1942、今回上映)、『北北西に進路を取れ』(米、1959)に引き継がれるが、いずれもヒッチコック・タッチ全開の必見作だ)。
そして構成、演出、手法の面でも、各シーン、各ショットが緊密に結びつき、ゆえにスリルとサスペンスは一瞬たりとも途切れず、しかもロマンティック・コメディ風の軽妙な旨味、ウィットに富んだ英国式ユーモアにあふれ、はたまた目を奪う映画的アイデアが随所にちりばめられた本作は、映画作家ヒッチコックの原点であるとさえ言えよう(原作はジョン・バカンのスパイ小説『三十九階段』)。

『三十九夜』のポスター https://ja.wikipedia.org/wiki/%E4%B8%89%E5%8D%81%E4%B9%9D%E5%A4%9C#/media/%E3%83%95%E3%82%A1%E3%82%A4%E3%83%AB:The_39_Steps_(1935)_-_poster.jpg
――ロンドンで休暇中のカナダ人ハネイ(ロバート・ドーナット)は、偶然にも黒髪の女スパイ、アナベラ(ルーシー・マンハイム)と知り合う。アナベラはハネイに、あるスパイ団が“敵国”に英国の国家機密を売ろうとしている、と告げる。が、彼女はまもなく、反英スパイ団に刺殺される(彼女は、スパイ団の首領が「右手の小指のない男」だと言って、その組織の拠点に印の付いたスコットランドの地図を握りしめたまま、こと切れる)。
殺人の容疑をかけられたハネイは、アナベラが言い残した謎の言葉、「三十九階段」とくだんの地図を手がかりに、スコットランド行きの急行列車に飛び乗り、逃亡者でありながら追跡者=<素人探偵>となって、怪事件の核心に迫っていく(このように多くのヒッチコック作品では、主人公は刑事やプロの探偵ではなく、思いがけない偶然から難事件に“巻きこまれる”一般の市民だ)。
といっても、『三十九夜』で焦点化されるのは、推理/謎解き/犯人探し(フーダニット)ではない。ドラマを牽引するのは、転々と場所を変えながら、大小のヤマ場がめまぐるしく継起し、シチュエーションも次から次へと変転していく<活劇的な運動/アクション>だ。つまりは、主人公ハネイがくぐり抜ける、息づまるような冒険の連鎖である。
たとえば、警察に追われるハネイは、疾走する急行列車の外に出、窓づたいに移動し、列車が鉄橋の上で停まるや橋の支柱にしがみつき、素早く身を隠し、すんでのところで逮捕をまぬがれるという離れ業を見せるが、こうした活劇シーンの連続に引き込まれる観客は、「謎解き」には興味が向かわない(<列車>も、すぐれてヒッチコック的な移動空間)。
もっともハネイは、奇想天外な旅のさなかに、いくつもの謎に直面する。しかしそれらの謎は、名探偵の推理=長台詞によって解決される謎とは異なり、
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