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音楽を職業にするということ~バグパイプビジネスを追求した日々

マイナー楽器だからこそ

加藤健二郎 バグパイプ奏者

Serge Cornu/shutterstock
 「音楽を職業にして稼ぎ続けるのは大変なことだ」

 若い頃から音楽人生を歩んでいる人ほど、身に染みて感じるようだ。

43歳で転身。バグパイプを職業とする人はいなかった

 しかし私は、音楽業界の厳しさを知らぬまま、43歳でこの世界に足を踏み入れた。それも、バグパイプという、日本では演奏できる人が100人に満たず、職業とする人は皆無だったという、極めつけのマイナー分野である。

 それからの16年間は、前回考察した「音楽の本質」の追求であると同時に、「音楽で食っていく」ための試行錯誤でもあった。今回は、マイナーな世界で生きてきた経験を基に、バグパイプをビジネス展開の視点からお伝えしたい。

 2004年、戦場ジャーナリストからバグパイプ奏者に転じた当時の私は、外国の戦争写真よりは、楽器演奏者の方が、ふつうに稼げるだろう、と安易に考えていた。27歳で建設会社の技術者を辞し、世界各地の戦場で15年間、取材を続け、中年になってからバグパイプを職業に選んだ。この生き方からして、いかに安易な人生観の持ち主かと、想像されてしまうかもしれない。

だれもが「稼げない」というのだが

 戦争は人に嫌がられること、音楽は人から喜ばれること。だとしたら「喜ばれることの方が仕事として成り立ちやすいはずだ」との発想だ。しかし、業界に飛び込んですぐにわかったのは、人から喜ばれることをやりたい人はたくさんいるから、「音楽は競争が熾烈」ということだった。

 そこで、バグパイプ歴20年以上の先輩奏者たちに、「職業としてのバグパイプ」ついて訊ねて回った。驚いたことに、全員が、まるで口裏を合わせたように、「生活できるほど稼げないから、プロになる気などない」と話してくれた。

 それを聞いて、「しめた、バクパイプは競争が無いぞ」と、ほくそ笑んだのだった。まだ、基礎の3曲ほどをやっと演奏できる程度の初心者のころであり、ナマイキな新人まるだしで…。

Alexander-Smulskiy/shutterstock

「初心者の安易さ」がビジネス挑戦の力に

「東京パイプバンド」の歴史と活動を伝える東京新聞の記事(2007年3月29日付)
 初心者のころは、「東京パイプバンド」に所属していた。1974年のエリザベス女王来日を機に結成され、約30人が所属する日本最大のバグパイプ楽団だ。

 4年目の春、東京新聞の記者に、楽団の活動と楽器の魅力を紙面化してもらった。戦場ジャーナリスト時代からの友人だった。このように、前職の人間関係は、音楽生活で随所で助けになってくれている。

 この新聞報道への働きかけのように、いま考えると、「安易に舐めてた」ことが、タイミングを逃さずに売り込む大胆さや、ドライなビジネス思考を可能にしていたように思える。

 2004年1月、自分のバグパイプを手に入れ、東京パイプバンドのメンバーとして練習に励み、パレードなどの合奏イベントにも参加できるようになっていった。演奏スキルの向上という点では、申し分ない環境だった。その上、高い演奏スキルを持ちながらも職業とはしない人たちの思想を感じ取れたのも貴重な経験だった。

ビジネスの時期を経て、本質求める価値観に

 「音楽で食ってくぜ」なんていうのは、自分の能力の確証も収入の保障もない中で始めるわけで、「ぶっ壊れた人生観」だともいえる。そこを突破する考えのない人には、なかなか、ありえない道なのだろう。

 5月7日配信記事で、「音楽とは、人に聴かせるためのものだろうか」という疑問を提じておきながら、「音楽で稼ぐ」とは矛盾ではないか。そう思われてしまいそうだ。

 実は、ビジネスに偏りすぎていた時代があったからこそ、今の自分の価値観がある。「音楽で稼ぐ。音楽は人に聴かれてこそ価値がある」という挑戦と苦悩の時期を経て、伝統継承の大切さや音楽の本質を重視する考え方に至った、とみていただければ幸いである。

ウェディング業界に参入

Nadiia Rotman/shutterstock
 バグパイプを、本格的にビジネスベースに乗せる商談を始めたのは、結婚式での演奏からだった。ウェディングプラン会社は、常に他社との企画の差別化を探っている。そのことは、式場もクライアントである新郎新婦も同じである。話し合いを通して、ウェディング業界への参入方法を知った。
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