芸術監督は「看板」でいいのか/ハラスメントをどう克服するか
2020年06月08日
京都市の市立劇場「ロームシアター京都」で自主事業の企画制作を担当する筆者が、当事者の立場から地方自治体の行政と文化芸術の現場との関係を考える後編です。(前回はこちら)
ロームシアター京都では、いったん発表した2020年4月1日付けの新館長の就任が1年延期になりました。筆者はこの出来事がはらむ問題を大きく三つに分けて指摘します。①行政が、自分たちの判断に誤りはないと思い込む「無謬(むびゅう)信仰」、②文化芸術施設における指定管理者制度、③芸術(とりわけ集団創作を行う舞台芸術)におけるハラスメント問題、です。全国の公立文化施設のあり方にも通じる課題として、前回の①に続き、今回は②と③に論を進めます。
(作品写真は、ロームシアター京都を中心に開催されている「KYOTO EXPERIMENT 京都国際舞台芸術祭」で発表された舞台から)
2003年の地方自治法の一部改正で、全国の地方公共団体が設置する施設には、広く「指定管理者制度」が導入された。自治体が指定する、法人や民間事業者、NPOなどが施設を運営する制度だ。
民間の発想を取り込むことで、施設運営を柔軟にしたり、サービス向上を図ったりというプラス面が期待される半面、自治体の財政難に伴って効率化が重視され、ただの経費削減ではという懸念もあった。
実際には、公立文化施設の多くは地方公共団体が出資した法人が指定管理を受託している。
ロームシアター京都を指定管理する公益法人京都市音楽芸術文化振興財団も、京都市が53.4%出資して、1993年に発足した法人である。通例として、専務理事には京都市OB、事務局長には市からの派遣職員が就く。市の関与の非常に強い組織である。
自主事業に積極的に取り組む公立劇場は、著名な芸術家や有識者を劇場の顔として「芸術監督」に迎えているケースが多い。一般市民からは、いかにも「芸術家ファースト」「文化の殿堂」のように見えるかもしれない。「ハコモノ行政」との誹(そし)りを免れるためだと言うと、うがった見方かもしれないが、一定の効果を挙げてきたことも事実である。
ただ私は、日本の大半の公立劇場での「芸術監督」のあり方には、「自由な表現の発露たる芸術を振興しているように見せたいが、箸(はし)の上げ下ろしまで行政の管理下に置きたい」という行政側の矛盾した考えがこもっていると感じている。
地方公共団体が出資した法人が指定管理している前述の状況を背景に、公立劇場の実質的な責任者は、自治体OBや派遣職員というジェネラリストが務めることが多い。
芸術監督を擁する劇場であっても、実は多くの場合、芸術監督は組織の意思決定のラインからははずれている。つまり、対外的な発信力と、芸術監督が関与するプログラムによる集客は期待されているが、欧米などの「芸術監督制度」のように、劇場全体の芸術面を人事や予算の決定などを含めて、真の意味で監督できる制度にはなっていないのが現状だ。著名人は看板で、実質は匿名の官僚がコントロールしているという図式である。
さて、今回のロームシアター京都の館長人事では、劇団「地点」を主宰する演出家の三浦基氏を起用すると発表した2020年1月の記者会見で、市長、理事長、及び専務理事がそれぞれ言葉は違ったが、「アーティストを館長に迎えることによって、芸術監督的な役割も担ってもらい、劇場に色を付けていく」と説明した。
これは非常に重い発言だ。
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