2020年06月12日
前回は、1990年代後半に登場したDA PUMPが、ジャニーズとは異なるタイプのダンスアイドルとして人気を獲得した様子、その背景にある文化のストリート志向についてみてきた。今回は、そうした新たな「不良」系の男性アイドルのひとつの帰結としてEXILEの誕生に至るプロセスを追ってみたい。
1990年代は、音楽の世界でプロデューサーの存在感がぐんと増した時代だった。小室哲哉やつんく、小林武史などは有名だが、DA PUMPのデビュー曲から作詞・作曲、そしてプロデュースを担当したm.c.A・T(富樫明生)もまた、そんなひとりである。
DA PUMP登場の背景にあるヒップホップ文化については前回もふれたが、m.c.A・T自身もそうした文化の影響を色濃く受けつつ、そこに独自のポップ色を加味しようとしたミュージシャンであった。そんな自らの音楽を彼は「J-School Rap」と呼んだ。
m.c.A・Tが「Bomb A Head!」で再デビューし、注目されたのが1993年。それと軌を一にするように、ラップをフィーチャーしたヒットソングが日本でも生まれ始める。
よりラップが前面に出たヒット曲としては、スチャダラパーと小沢健二のコラボ曲「今夜はブギー・バック」(1994年発売)やEAST END×YURIの「DA.YO.NE」(1994年発売)がある。EAST END×YURIは、ヒップホップ系のミュージシャンとしては初めて1995年の『NHK紅白歌合戦』にも出場した。
そもそもヒップホップ文化の根底には、既存の硬直した社会秩序、価値観に対する反発や抵抗がある。その意味で、ストリートダンスやラップは社会常識からはみ出す部分を本質として有するものであり、不良性と結びつく。そしてこの連載では、男性アイドルの二大潮流として「王子様」の系譜と「不良」の系譜があると折に触れて述べてきた。
その文脈で言うと、1990年代以降のヒップホップ文化の浸透は、「不良」アイドルのありかたにも当然影響を及ぼした。一言で言えば、それはバンドからダンスへの転換だった。
これまでみてきたように、1960年代のグループ・サウンズ、1980年代の横浜銀蝿らツッパリアイドルなど「不良」アイドルの多くに共通するのは、ロックをベースにしたバンド形態で活動したことである。やはり「不良」アイドルの系譜に属する1970年代の西城秀樹が、沢田研二と並んで自らのロックバンドを従えて歌っていたことなどもそうだろう。
ところが1990年代以降、不良性を担うものはバンドからダンスになった。むろん1980年代末に「イカ天」ブームが起こったように人気ロックバンドが出てこなくなるわけではないが、少なくともダンスアイドルの勢いはそれに劣らぬものになった。
実際、DA PUMP以降、ヒップホップの影響を多少なりとも受けた人気ダンスユニットが生まれるようになる。
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