DA PUMP、沖縄から生まれたダンスアイドル
前回は、1990年代後半に登場したDA PUMPが、ジャニーズとは異なるタイプのダンスアイドルとして人気を獲得した様子、その背景にある文化のストリート志向についてみてきた。今回は、そうした新たな「不良」系の男性アイドルのひとつの帰結としてEXILEの誕生に至るプロセスを追ってみたい。
ラップの大衆化
1990年代は、音楽の世界でプロデューサーの存在感がぐんと増した時代だった。小室哲哉やつんく、小林武史などは有名だが、DA PUMPのデビュー曲から作詞・作曲、そしてプロデュースを担当したm.c.A・T(富樫明生)もまた、そんなひとりである。
DA PUMP登場の背景にあるヒップホップ文化については前回もふれたが、m.c.A・T自身もそうした文化の影響を色濃く受けつつ、そこに独自のポップ色を加味しようとしたミュージシャンであった。そんな自らの音楽を彼は「J-School Rap」と呼んだ。
m.c.A・Tが「Bomb A Head!」で再デビューし、注目されたのが1993年。それと軌を一にするように、ラップをフィーチャーしたヒットソングが日本でも生まれ始める。

EAST END×YURI「denim-ed souL」(1994年) =FILE RECORDS提供
たとえば、小室哲哉はこうしたトレンドに敏感なひとりだったと言える。自らがメンバーとなったglobeやプロデュースしたtrf(TRF)などには、ラップパートを担当するメンバーが入っていたのはよく知られるところだろう。
よりラップが前面に出たヒット曲としては、スチャダラパーと小沢健二のコラボ曲「今夜はブギー・バック」(1994年発売)やEAST END×YURIの「DA.YO.NE」(1994年発売)がある。EAST END×YURIは、ヒップホップ系のミュージシャンとしては初めて1995年の『NHK紅白歌合戦』にも出場した。