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下北沢・本多劇場の扉を開ける

コロナ禍を乗り越えて再始動、「演劇の街」のいまは

本多愼一郎 本多劇場グループ総支配人

 新型コロナウイルスの感染拡大で、日本中の劇場の灯が消えた。緊急事態宣言が解除され、徐々に制限が緩和される中、劇場をどう再始動してゆくか。日本屈指の演劇の街・下北沢の「顔」ともいえる本多劇場などを運営する「本多劇場グループ」総支配人、本多愼一郎さん(44)に、2020年の春を振り返りながら、これからの劇場について語ってもらった。(取材・構成、山口宏子)

じわじわ広がったコロナの影響

本多劇場の入り口=東京都世田谷区北沢
 本多劇場グループは、東京の下北沢で八つの劇場を運営しています 私たちの劇場でも、2月下旬くらいから新型コロナの影響が出始めました。「心配だから観劇は見合わせる」というお客様が増えてきて、空席が少しずつ目立つようになりました。

 私たちが主催して最初に中止になったのは、3月1日、北沢タウンホールでの「世田谷こども応援ライブ」でした。劇場と地元商店街や世田谷区などが一緒に毎年開催している第30回下北沢演劇祭(今年は2月1日~3月1日)の一環で、売り上げを「こども食堂」などへ寄付するイベントですが、子供さんの来場者も多いため、安全を第一に考え、中止にしました。

 国や東京都から、具体的な指針はなかなか示されませんでした。しかし、感染が広がることへの不安はぬぐえません。3月後半になると、「このまま公演を続けることがいいのかどうか」と考えざるを得なくなり、劇場として、劇団や制作団体に「公演中止を検討してもらえないか」というご相談を始めました。劇場で公演してもらうことが仕事の私たちが、公演をやめてもらうための話し合いをする――こんな経験は初めてです。こちらからお話しする前に、主催者側が中止を判断した公演もありました。

 4月7日の緊急事態宣言が出る前に全館閉館を決めました。それから約2カ月、劇場は扉を閉ざすことになりました。

 本多劇場グループは、愼一郎さんの父、本多一夫さん(85)が創業した。映画俳優だった一夫さんは、飲食店経営などで蓄えた私財を投じて、1980年にまず、稽古場「本多スタジオ」を開設。公演する場がほしいという演劇人たちの声に応えて、81年に小劇場「ザ・スズナリ」を、翌82年には旗艦劇場「本多劇場」(386席)をオープンさせた。その後も、「駅前劇場」「OFF・OFFシアター」「『劇』小劇場」「小劇場楽園」「シアター711」「小劇場B1」をつくり、経営している。

 劇場をすべて閉じたので、グループとしてこの間、収入はほぼゼロです。8館の中には借りている建物などもあるため、家賃は発生しますし、施設の管理費や、約30人いる運営・技術スタッフの人件費など、月々の経費だけで1500万円ほどかかります。経済的な痛みは相当あります。一方、受けられそうな公的支援はいまのところ、国の持続化給付金(法人で最大200万円)と東京都の感染拡大防止協力金(2事業所以上の場合100万円)の二つだけです。国の家賃補助も始まりそうですが、まだ具体的なことはわかりません。すべて合わせても損失を補える額ではありません。ですが、いまは同じように苦しい業種や企業は多いですから、個人的には耐えるしかないと思っています。

 ただ、劇場は、スタッフや俳優にとっては仕事場です。彼らにまったく仕事がなくなっているのは深刻です。アルバイトも難しく、生活の厳しさに直面している人は少ないでしょう。公演を中止した劇団は、準備期間で既にかなりのお金をかけていますから、ダメージは大きい。精神的な打撃と経済的な負担が重なって、活動が続けられなくなる劇団もあるのではと心配しています。

どうすれば再開できるか。緊急事態宣言直後から検討

 劇場をどのような形で再開するか。

 これは、緊急事態宣言が出た直後から考えていました。

 長年お付き合いしている御笠ノ忠次さん(みかさの・ちゅうじ、脚本家・演出家)と相談を始めました。同じ頃、川尻恵太さん(脚本家・演出家)から、自分のユニットの過去作品の映像を有料配信して、収益を本多劇場グループに寄付したいというありがたい連絡をいただきました。川尻さんと御笠ノさんが親しかったこともあり、お二人で企画を進めてもらうことになりました。

 ゴールデンウィーク明けに、6月1日に本多劇場を開ける、と決めました。

 見通しは「6月になれば緊急事態宣言は解除されているだろう」「それでも東京都の基準はあまり緩和されてはいないだろう」でした。その状況下でも実現可能で、安全、安心な演劇は何か――。

 本多劇場を使って、一人芝居、無観客、生配信で『DISTANCE』を上演することにしました。とにかく劇場で演劇を上演する。スタッフに仕事をしてもらい、お金も回す。それを目指しました。もともとは1日だけの予定だったのですが、いろいろな方に協力していただき、結果として1週間の公演になりました。

 本多劇場グループPRESENTS『DISTANCE』では、6月1~7日に11人の俳優が、それぞれ異なる内容の一人芝居を1回ずつ演じた。冒頭、廃墟のようになってしまった劇場の舞台に2人の作業員が現れる。彼らは互いに距離をとりながら掃除を始めるが、ひとりがこの舞台でかつて上演されていた「演劇」について語りだすと場内が暗くなり、その日出演する俳優が現れ、一人芝居が始まる。料金は3作連続上演だった1日は3500円、2日以降は2500円。イープラスが運営する「Streaming+」を使って配信された。

『DISTANCE』で企画・脚本・演出を担当し、冒頭場面の清掃員の役も演じた川尻恵太(右)と御笠ノ忠次=2020年6月1日、東京・下北沢の本多劇場、和田咲子撮影

劇場からの配信、ライブを共有

本多劇場グループPRESENTS『DISTANCE』の初日に一人芝居『齷齪(あくせく)と accept』を演じる井上小百合。川尻恵太脚本、ニシオカ・ト・ニール演出=2020年6月1日、東京・下北沢の本多劇場、和田咲子撮影

本多劇場グループPRESENTS『DISTANCE』の初日に一人芝居『500』を演じる入江雅人(脚本・演出も)=2020年6月1日、東京・下北沢の本多劇場、和田咲子撮影
 映像配信ではありますが、できるだけ劇場での観劇体験に近づけるために、ライブで配信し、視聴はリアルタイムの1回だけ。後日見ることができるアーカイブも残しませんでした。生ですから映像の編集はできません。入念に準備をし、カメラ3台で、舞台を見ている感覚にできるだけ近い、臨場感のある映像を撮影、配信しました。

本多劇場グループPRESENTS『DISTANCE』の初日に一人芝居『ときめきラビリンス』を演じる永島敬三(中屋敷法仁脚本・演出)=2020年6月1日、東京・下北沢の本多劇場、和田咲子撮影
 安全を第一に考え、劇場に入るのは上演と 配信に必要な最小限の人数。私たちも中に入らず、画面越しに見守りました。

 初日は2000人を超える人に見ていただきました。すごい人数だと驚いています。劇場が動き始めたことは、とてもうれしかったですが、その場に観客がいないため、拍手が聞こえなかったのは、やはり悲しかったですね。

 毎日、「感染の状況によっては、最悪、中止もありうる」という緊張の中での再スタートです。まだ慎重な姿勢は崩せませんが、6月中は、各劇場で、様々な劇団や団体が、それぞれのやり方で、配信を中心に、一部、お客様にも来ていただいて、劇場を動かしています。

 コロナ禍の中で、演劇の配信が活発になっています。この先、新しいジャンルとして、これまでになかった作品が生まれる可能性もあるかもしれません。ですが、今の時点で、演劇はやはり、生の舞台を見るのが一番だと私は考えています。作り手にとっても、舞台に立って演じるのは、特別なことだと思います。

 ただ、当面は、「密」を避けるために客席を減らさなくてはならず、以前のように、満員のお客様を入れることができない。そうした環境の中で、配信である程度の収入を確保することは、劇場や劇団にとって、一つの支えになるのではと考えています。

小劇場が足並みをそろえて

本多劇場グループPRESENTS『DISTANCE』の井上小百合の舞台=2020年6月1日、東京・下北沢の本多劇場、和田咲子撮影

 6月2日に小劇場協議会を発足しました。

 コロナの問題が起きる前から、親しい劇場主の方たちと、小劇場同士の横のつながりが必要だと話してはいたのですが、これを機に、会を作ることになりました。東京都内の31劇場でスタート。今後、他の地域からも参加してもらえたらと考えています。

 いまのところ、協議会としては、資金を集めるクラウドファンディグや行政への働きかけをする予定はありません。小劇場同士が足並みをそろえ、情報交換をしながら、未来に向けて活動をしてゆくための方策を考える活動をしたいと思っています。

 当面の最大の課題は、小劇場をお客様に安心してきてもらえる場所にすることです。議論を急ぎ、公演を実施するためのガイドラインを作成して、8日付けでホームページで公開しました。

 公立文化施設協会が5月14日付けで出した「劇場、音楽堂等における新型コロナウイルス感染拡大予防ガイドライン」などを参考にしながら、演劇中心の小劇場で、安全に公演ができるように、どの劇団も「これなら守れる」と思えるような内容にしました。消毒などはもちろんですが、劇団の方たちに向けて、劇場に入る前からこういうことに注意して生活してください、ということも示してあります。

 協議会に参加している劇場は、これだけの対策を徹底してやります、ということがお客様にわかっていただければ、劇場の活動再開も進みやすいと思います。状況に合わせて、ガイドラインは順次、更新していく予定です。

 感染を防ぐために換気が重要だと言われていますが、私たちの劇場のように「興行場」として保健所の許可を受けている施設は、その広さに応じて、新鮮な外気を取り込む給気と、室内の空気を出す排気の量が厳しく決められています。それが適切にできる換気設備を持たないと、営業許可がおりないのです。協議会に参加している小劇場はいずれも、こうした設備を持つ「興行場」です。こうしたことを知っていただくことも、お客様にとって一つの安心材料になるかと思います。

本多劇場グループPRESENTS『DISTANCE』の初日の舞台を終え、あいさつをする出演者たち=2020年6月1日、東京・下北沢の本多劇場、和田咲子撮影

街とともにある劇場として

「劇」小劇場の壁。ふだんは各劇場のポスターやちらしが張られているが、6月上旬はまだ空欄が目立った=東京・下北沢

 普段通りに公演ができたとしても、小劇場経営は、決して儲かる事業ではありません。けれども、こうした上演場所がなくなれば、演劇という文化の大事な部分がなくなってしまいます。ですから今後も、他の劇場と助け合いながら、経営を続ける努力をしてゆきたいと思っています。

 小劇場というのは、経験豊富な作り手が上質な舞台を作る場であると同時に、それまで学校内で活動していた若い劇団が、初めて社会に向けて作品を発表する場でもあります。コロナ問題が落ち着いたら、協議会として劇場が持つノウハウや知識などをまとめ、社会に出る若い人たちに伝えることなどにも取り組んでいければと考えてます。

 本多劇場グループの存在によって、下北沢は「演劇の街」「文化の街」となった。地域に活力をもたらし、イメージアップにも貢献する劇場の存在を、当事者としてどう考えているのだろうか。

 劇場が街に対して何かしている、といったことは特に考えていませんし、自分たちで言うことでもないと思っています。ただ、劇場を閉めてからは、近所の方たちから、「いつ再開しますか」とよく尋ねられました。ふだんは、お客様はもちろん、俳優、スタッフら大勢の人たちが劇場に来ているので、食事や飲み会、買い物などで地元のお店に行く人が多いのです。『DISTANCE』の準備を始めたら、「劇場が閉まっているのは、かなりの痛手です」と言うあるお店のご主人が、「頑張って」と飲み物を差し入れてくれました。そう言っていただけるのは、とてもありがたいことです。

 下北沢は雰囲気が温かく、散歩、飲食、ショッピング、劇場やライブハイスなど、いろいろな楽しみ方ができる街です。そういう街を作っている地元の方たちと協力し、共存する劇場でありたいと思っています。