コロナ禍の中で映画・音楽・演劇が合流【下】
2020年06月13日
新型コロナウイルスの感染拡大を防ぐために活動を自粛せざるを得なかった文化3ジャンルに携わる人たちが、「#We Need Culture」を合言葉に合流した。ミニシアターを救おうと運動してきた映画人、ライブハウスやクラブを守るために活動する音楽関係者、そして、演劇人たちだ。「文化芸術復興基金」の創設を求めている。演劇から参加している筆者が前回に続き、その活動を報告しながら、コロナ後の文化を考える。
それぞれ行っていた署名活動の成果も、ジャンルによっての違いが際立っていました。
「演劇緊急支援プロジェクト」に集まった署名はその時点で2万筆ほど。「SAVE the CINEMA」が8万筆。そして、「Save Our Space」は30万筆を超えていました。演劇に比べ映画が4倍ほど、そしてライブハウス/クラブには10倍以上と文字通り桁違いの署名が集まっていました。
映画や音楽と演劇ではその性質上、お客さんの目に触れる機会の多さや、一度に見て頂ける人の数が圧倒的に違いますので、単純に署名数だけを比較することはナンセンスです。ですがそうは言っても、この圧倒的な支援の大きさと、人々の生活への根付き方、愛され方を目の当たりにして、心から羨ましく思いました。
映画や音楽のように演劇が愛されるためには何が必要なのだろう、とわが身を顧みる機会にするためにも、彼らと合同することは意義のあることだと、直感的に確信しました。
ここまで書いたことは、あくまでも僕の個人的な見解ですので、他の演劇人からの反論があるかもしれません。この原稿の前半で「近視眼的に見た場合の」とわざわざ書きましたが、本来はもっと俯瞰して、長い時間軸の中でこの3ジャンル合同を捉えるべきです。今後、もっと大局的に現状を評価する時期が必ず来ると思っています。その未来のためにも、日本の文化芸術にとって意義のある合流にしなければならない、決して今が良ければいいと思っているわけではない。そう関係者は皆強く思っていることを書き添えておきます。
一方、ミニシアターとライブハウス/クラブにとっての、演劇と合流した理由を考えてみます。
今回僕も初めて知ったことなのですが、彼らには、彼らのアイデンティティに関わる切実な問題があったのです。それは、ミニシアターやライブハウス/クラブが行政に支援を求めた際、文化庁からは門前払いを食ってしまう、という現実です。
どういうことか。
彼らは当然、自分たちのことを文化の作り手であり、担い手であるという自負の中で映画や音楽を発信してきました。ところが、行政から見える景色はそうではなく、音楽や映画そのものは文化であるけれど、それを提供する場であるミニシアターやライブハウス/クラブは、あくまで事業体であり、だとするならば、支援を文化庁ではなく経産省や厚労省に求めてくれ、というものだったのです。
そのことに彼らは傷つき、現状を変えたいと思ったのです。
しかし、その彼らは行政から文化団体としては認められず、それ故に文化庁管轄の予算は1円も来ません。彼らは、自らのアイデンティティを否定され続けてきたのです。
同じことは演劇界にも言えます。民間の小劇場は文化庁管轄ではありません。小劇場が文化庁に助成金や補助金を求めても、現在の枠組みでは難しいのです。
しかし演劇界は歴史の中で、映画や音楽業界に比べて行政と深く結びついてきたという側面があり、充分な形でないとはいえ、助成金システムも構築されています。それは劇場に対する直接的な助成ではなく、あくまでも作品に対する助成ですが、作品を創作するカンパニーが劇場を借りる時の劇場費として間接的に分配されている、ということは言えると思います。
これも完全な私見ですが、その意味でミニシアターやライブハウス/クラブ側から見た時、演劇の持つ歴史と行政との繋がりが、これも近視眼的に見た場合の、演劇と合同する大きな理由だったのではないでしょうか。
これを書いているのが6月9日。近く成立する見通しの第2次補正予算に、560億円の文化芸術に対する支援策が盛り込まれています。
現状の予算案には、その支援対象にミニシアターとライブハウス/クラブは含まれていません。日本の文化芸術の発信地である彼らが支援対象に含まれないということは、決してあってはなりません。
現在Twitter上では「#ライブハウス・クラブ・ミニシアターも文化芸術支援の対象に」というハッシュタグが拡散されています。どうか、我々の願いが届きますように。
このように、三者三様の現状があり、お互いの足りない部分を補い合うようにして結びついた今回の3ジャンル合同であったと言えると思います。
表現の場所や表現者が、当たり前のように文化の担い手として認められ、社会の一員として存在することができていれば、誰も政治や行政に近づく必要は無いのです。しかし、そんなことを言っている場合じゃないという現実に直面して、ジャンルを超えて作り手たちが連帯し、共に声をあげる選択をしたのです。
前回の原稿の冒頭で、我々の要請内容が「文化芸術復興基金を創設して下さい」というものだったと書きました。実は、要望している我々もこの基金の内容について細部まで仕組みを構築できているわけではありません。とにかく一刻も早く補償を求めなければ日本の文化芸術にとって大変な損失になる、という危機感のみで大枠を作り上げ、分配方法などの細かい部分はその後の課題として動き出したのです。
第2次補正予算で文化芸術に対し560億円の予算がつきそうだと書きました。これは、我々を含め多くの声が日本中から上がったことの成果だと思っています。
しかしこの予算は、短期的な緊急措置としての予算です。現状を救うために一定の効果はあると思いますが、本質的に重要なのは、長期的に見た時に文化芸術を守るためのセーフティネットです。2011年の震災の時もそうでしたが、不測の事態で一定期間文化活動が止まってしまうことがあり得るということが明確になった今、想定外の災禍に対して恒常的に機能する備えとして、基金の創設が不可欠だと思っています。
今回の補正予算には、損失に対する保障という概念は盛り込まれず、あくまでも今後の活動に対する支援金、もしくは稽古場代やレッスン費等かかる費用に対しての充当金、という位置づけです。ですが本当に必要なことは、今現在災禍で倒れそうな才能を守ることであり、文化芸術を下支えしている人材の流出を防ぐことです。
演劇界の30近い団体が初めて合流し「演劇緊急支援プロジェクト」を立ち上げたことは前回ご説明しました。その会議上で改めて明らかになったことが、技術スタッフには圧倒的にフリーランスが多い、という現状でした。
演劇関係団体として照明家協会や音響家協会、舞台美術家協会、舞台監督協会などの職能団体が複数ありますが、そこに所属している技術者はごく一部で、実態は一匹狼のフリーランスの人達が日本中の現場を支え、まさに文化を生み出すための重要なポジションを担っているという事実があるのです。
そして現状、そういったフリーランスのスタッフの人数を正確に把握している機関は無く、支援の枠組みを作ることすら難しいという課題も浮き彫りになりました。
第2次補正予算に組み込まれた560億円はあくまでも、コロナによる被害をどう救うかという短期的な視点で考えられた支援の枠組みです。それに対して基金構想は、コロナ被害の救済はもちろんですが、それに加えてこれから先に起きる文化芸術にとっての危機の際にこそ真価を発揮できるような制度づくりの提案です。長期的な視点で作られる必要があり、だからこそ意味のあるものだと思います。
前述したように、演劇界はその歴史の中で折に触れて行政と意見交換をしながら、この国における文化芸術の位置付けや助成金などのシステムを作り上げてきました。僕はその過程に関わったことがないので正確なことは分かりませんし、先輩の話を聞きながらようやく少しずつ政治と文化の関係が見えつつある、というような状態です。
そんな僕でも、一つだけはっきりと分かったことがあります。それは、胸襟を開いて、一人の人間として政治家や役人と話をすれば、少しずつでも世の中の仕組みを変えていける、という、考えてみれば民主主義社会にとってはごく当たり前のことでした。
我々が要望している基金構想も、短期的な視点と長期的な視点の両方を持ちながら、行政と現場が話をしながら一体になって作り上げていく必要があるし、そうしていかなければいけないのだと思いました。その為に何よりも現場は、フリーランスのスタッフの人数を含めた、細部に至る実情を一刻も早く把握し体系的にまとめる必要があり、これこそが喫緊の課題であると言えるでしょう。
我々の省庁要請とほぼ同じタイミングで、文科省所管の独立行政法人である日本芸術文化振興会(芸文振)が「文化芸術復興創造基金」を立ち上げるという発表がありました。我々の要望している「文化芸術復興基金」と名前がそっくりなので混同された方も多く、事実我々も混乱しました。
行政が立ちあげた基金なので公金が投入されるのかと期待しましたが、実際は原資を全額寄付で賄うとのことです。これでは、民間で乱立しているクラウドファンディングと何も変わりません。
クラウドファンディングとは人々の善意で成り立つ制度であり、民間レベルではほとんど限界に近いところまで資金のやり取りが行われています。それは、自分にとって大切なものを失いたくない人たちの切実な願いであり、多くの場合寄付する側も潤沢な資産を有しているわけではなく、まさに身銭を切って文化を支えようとしているのです。
芸文振の基金は、現状では分配する仕組みも分配の対象も明確に示されておらず、我々の要望しているミニシアター、ライブハウス/クラブも支援対象に入っていません。なによりも、行政の、人々の善意頼りの基金創設に強く抗議するとともに、一刻も早い公費投入を強く要望致します。
さて、映画、音楽、演劇3ジャンルの出会いは、我々の未来に何をもたらすのでしょうか。
コロナ被害の中、悲惨な状況で出会った三者ですが、5月22日の省庁要請と各イベント開催に向けて準備した1週間は、前述したとおり熱気と高揚感に満ちた幸せな1週間でした。こんなことをいうのは癪(しゃく)ですが、コロナのお陰で出会えたと言えなくもありません。ネガティブな状況の中、他の選択肢の無い中でのやむを得ずの出会いだったかもしれません。しかし、この出会いこそが日本の文化芸術にとっての希望であるとも思うのです。
遠い未来から振り返った時、2020年こそが日本の文化芸術の転換期であった、と言われるような出会いにしていかなければいけないと思っています。その為にもこの出会いを一過性のもので終わらせるのではなく、この危機を乗り越えた先には、共に新たな文化を作り上げていきたいと強く願っています。
我々が3ジャンル合同でアクションを起こしてから、そのことに対する大きな批判をネット上で目にしていません。ただ僕が知らないだけかもしれません。けれど、これを少しの希望と信じたいと思うのです。
文化は、表現者だけで構築することは不可能です。発信する側とそれを受け取る側、双方の絶え間ない努力によってのみ、成熟した文化国家を作り上げることが出来るのだと思います。我々作り手の責務として、そのような信頼関係をより多くの人々と結ぶ努力が必要なのだと思います。
今日も、3ジャンルのオンライン会議がありました。話題は、第2次補正予算からその先へ、新たな展開へと大きく広がっていきました。
2020年を境に日本は文化大国への道を歩み出した。遠い将来そんな風に言われるように、映画界、音楽界の人達と手を携え、精一杯生きていかなければと思っています。
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