2020年06月19日
恐怖と魅惑のヒッチコック特集! 英国時代の最高作『三十九夜』
前回論じた『三十九夜』と並ぶヒッチコック英国時代の最高傑作、『バルカン超特急』(1938、東京・シネマヴェーラ渋谷「ヒッチコック監督特集」で6月20日から上映)は、スリルとユーモアの絶妙なさじ加減といい、列車という移動空間の卓抜な活用といい、ヒッチコック・タッチが冴えわたるスパイ活劇だ。
――舞台はナチス・ドイツを想わせる中欧の架空の国、バンドリカ。休暇を終え、結婚式を挙げるために特急でロンドンに向かう美しいヒロイン、アイリス(マーガレット・ロックウッド)が、バンドリカと英国の奇っ怪なスパイ合戦に“巻きこまれる”という、ヒッチコック十八番の展開である。
事件のカギを握るのは、アイリスがホテルで知り合った、音楽教師の小柄な老婦人ミス・フロイ(デイム・メイ・ウィッティ)。彼女はじつは英国の諜報部員で、アイリスと列車内で同じコンパートメントで向かいあわせの席になるが、やがて忽然(こつぜん)と姿を消す。ミス・フロイのいた席には、むっつりとした見知らぬ女、クマー夫人(ジョセフィーヌ・ウィルソン)が座っていた。
アイリスは同乗していた他の客に、ミス・フロイのことを尋ねる。だが、エレガントで高名な脳外科医ハルツ博士(ポール・ルーカス)も、奇術師ドッポ(フィリップ・リーヴァー)やその妻子も、いかめしい男爵夫人(メアリー・クレア)や立身主義者の弁護士トッド・ハンター(セシル・パーカー)とその愛人(リンデン・トラヴァース)も、はたまた尼僧の恰好をしているがハイヒールを履いた奇妙な女(キャサリン・レイシー)も、みな申し合わせたようにそんな婦人は知らないと言う。
じつは、奇術師とその妻子、男爵夫人、偽の尼僧らは、ハルツ博士を首領とするバンドリカのスパイ団であり、一味はミス・フロイが小唄のメロディとして暗号化し“守秘”している機密情報――ヒッチコック的<マクガフィン>(後述)の典型――を狙っており、彼女を車内のどこかへ拉致したのだった。
そうとは知らぬアイリスは、音楽研究家の青年ギルバート(マイケル・レッドグレーヴ)とともに、度胸満点のヒッチコック的“素人探偵”となって真相究明に乗りだす(最初はアイリスとギルバートの仲は険悪だが、協力して行動するうちに二人は惹かれ合い……という、『三十九夜』のロバート・ドーナットとマデリーン・キャロルの道行き同様の、ロマンティック・コメディの王道を行くシック(粋)な展開も最高)。
ところで『バルカン超特急』にも、ミス・フロイの失踪をめぐるいくつもの謎が設定されている。したがって、アイリスとギルバートによる謎解きのシーンは皆無ではない。しかし、多くのヒッチコック作品がそうであるように、素人探偵の二人は、訳知り顔の“安楽椅子探偵”とは対照的に、行動力と知力を両輪にして謎を解いていく。あるいは“謎の人物”がみずから正体をあらわにすることで、謎はひとりでに解(ほど)けていく(『三十九夜』のジョーダン教授/ゴッドフリー・タール同様、善人の仮面をかぶったエレガントな悪党のハルツ博士/ポール・ルーカスは、脳を麻痺させる薬を入れたワインで二人を眠らそうとするとき、みずから正体を明かす)。
よって、賢(さか)しらなセリフによる推理のシーンはほとんどない。前面に出るのは敵味方双方の意表をつく言動、ないし活劇的アクションだ。そしてそれによって、スリルとサスペンスは加速度的に高まっていき、シチュエーションもめまぐるしく変転していく。つまるところ、『バルカン超特急』の魅力の核心は、『三十九夜』におけるのと同様、パズル・ゲームのような知的遊戯ではない、描写のダイナミズム/運動がもたらすエモーション、すなわちヒッチコック的サスペンスである(前稿参照)。
たとえばアイリスとギルバートが、奇術の道具が置かれている貨物車に行くシーン。そこで二人は、同乗のドッポが人間を隠すマジックを操る奇術師であると知る。そしてアイリスが、床に落ちていたミス・フロイの眼鏡を見つけたとき、ドッポが不意に現われる。二人はドッポと格闘になる。もみ合いの末、二人はドッポを奇術用のトランクに閉じこめるが、蓋を開けるともぬけの殻。ここでは、格闘、および商売道具を使ったドッポのトランクからの脱出といった一連のアクションとともに、彼の正体が明らかになるわけだ。
また、ハルツ博士の重症患者として包帯で全身を巻かれたミス・フロイを、アイリスとギルバートが発見する場面。そこで二人は、包帯を解いてミス・フロイを助け出すと、身代わりにクマー夫人に包帯を巻いて患者に仕立てるという、ドッポのお株を奪うような“マジック”をやってのける(観客に考える暇を与えない、ほとんどブラック・ユーモア的荒技)。あるいはミス・フロイの件を乗客たちに訴えようとして、列車を非常停止させるアイリスの大胆な行為。さらにまた、ギルバートが疾走する列車の窓づたいに隣のコンパートメントへ移るところでは、対向の列車が突進してきて彼の肩をかすめるという瞬間を、カメラは戦慄的に示す。――というふうに、謎に直面したアイリスやギルバートは、言葉による推理ではなく、あくまで身体のアクションによって真相に迫ろうとするのだ。
いまひとつ興味深いのは、アイリスの意識の混濁――朦朧(もうろう)、眠り、気絶――を表すディテールを、ヒッチコックが細心に描いている点だ。たとえば序盤で、落下してきた植木鉢がアイリスの頭に当たる。そのせいで、列車に乗りこんだ彼女の意識は混濁し、視界が渦巻き状に回転し、しかもホームで彼女を見送る友だちの姿が何重にも分裂して見える。幻惑的な<主観>映像である(植木鉢を落としたのはスパイ団の一味で、標的はミス・フロイだった)。そこではアイリスの意識の混濁が、多重露光を用いたトリック撮影で映像化されるわけだが、後年のアメリカ時代の名作、『めまい』のタイトルバックを連想させるショットである。
そしてその後、アイリスは
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