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「ブラック企業」の修飾語「ブラック」の使用はやめるべきだ

杉田聡 帯広畜産大学名誉教授(哲学・思想史)

 アメリカで起きた「白人」警官による「黒人」の殺害事件に端を発した人種差別反対運動が、世界中に広がっている。日本でもそれは見られるが、低調さはいなめない。黒人の絶対数が少ないために、自らの問題と見なす意識が形成されにくいのかもしれない(ただしNHKの動画問題に見られるように、国内の差別表現に敏感に反応した世論がある。朝日新聞2020年6月10日付)。

 だが日本にも人種(黒人)差別は現にある。第1に日本でも、粗野、無能、怖い存在という黒人像がつくられている。

日本に見られる人種差別――「ブラック」の乱用

 日本に見られる第2の人種差別は、この10年ほどの間に広まった。それは限定的・間接的なものであるが、黒人についてのさらに悪しき偏見・固定観念を作り上げる機能を有する点で、深刻である。

 それは黒人を邪悪な存在として描く。しかも「黒人」Blackを指すのと同じ言葉「ブラック」を、邪悪な対象に冠する修飾語として用いることによってである。

 今日、「ブラック企業」「ブラックバイト」等の言葉を目にすることは、まれではない。大新聞にさえ見られることがある。またこれに付随して、「ブラックな」「ブラッキー」「ブラック化」といった言葉も散見される。以上は労働者を過度に搾取する悪徳企業・事業所を問題化するために使われたのであろうが(最近は「ブラック校則」「ブラック部活」という言葉にも出会った)、それは副作用として、悪しき黒人像を社会のうちに醸成する。

「ブラックバイト」「ブラック部活」などの言葉も“普及”している「ブラックバイト」「ブラック部活」などの言葉も“普及”している(写真はイメージ)

 そして案の定、最近では以上に対置するかのように、望ましい対象を示す修飾語として「ホワイト」という言葉が使われる例が出はじめている。例えば輸出にともなう繁雑な手続きを簡略化できる国をさす「ホワイト国」なる言葉が、一時、公的機関によってさえ使われていた(朝日新聞デジタル版2019年8月7日付)。

 「ホワイト国」は、アメリカその他の白人至上主義者が聞いたら、いかにも喜びそうな言葉である。逆に、非常に悪い意味を込めて日本で使われている「ブラック」もまた、彼らを喜ばせるだろう。何しろ、もともと「黒」(ヨーロッパの言語では「黒」に悪しき意味が付与されているのが普通だが、米語・英語でそれは際立つ)にマイナスの意味をほとんど込めてこなかった一民族が、「黒=邪悪」という自分たちの価値観に、全面的に迎合したのであるから。しかもそれまでの言語空間において、「黒・白」にむしろ全く逆の価値づけがされていたのに、である(→拙稿「「ブラック企業」という言葉は「黒人」を差別する」*)

 いずれにせよ「ブラック」という言葉を、英語のblackが含意する意味を込めて用いるかぎり、人種差別に対して「日本(人)も無実ではない」。この言葉を使う人がいかに善意だったとしても、この言葉は、黒人に対する実質的なヘイトスピーチであり、人種差別を惹起してやまない。

(*) 前稿を私は現役時代の講義ノートを下に書きおろしたが、かつてそのノートを作った際、津田幸男『英語支配の構造――日本人と異文化コミュニケーション』(第三書館)の53-56頁を参照した事実を、前稿執筆時に失念していた。英語のblack、white、日本語の黒、白の意味に関して理解を助けてくれた津田氏に感謝しつつ、以上を記す。

Blackはアメリカではアイデンティティの一部をなす

 なぜなら、Black(それと同等の意味を有するAfricanなどを含めて)は、黒人にとってアイデンティティの一部をなす言葉だからである。

 もとより黒人が、BlackないしAfricanを率先して用いるわけではあるまい。むしろその背景には、アメリカに生きるかぎり、この属性を意識せずには社会生活を送れないという現実がある。

 なるほど、肌の色など意味をなさない文化・地域もある。

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