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『アサヒカメラ』休刊が物語る、写真文化の変容とその行方

鳥原学 写真評論家

視覚文化への功績

 『アサヒカメラ』の休刊が発表された6月1日は、皮肉なことにちょうど「写真の日」だった。とはいえ休刊の噂は、すでにその10日ほど前からSNSで流れていたから、意外とショックは少なかった。以前から不振だったカメラメーカーの業績がコロナ禍でさらに悪化していたから、広告出稿の激減は容易に予想がついた。

最終号となった『アサヒカメラ』(2020年7月号、朝日新聞出版)拡大最終号となった『アサヒカメラ』2020年7月号(朝日新聞出版)
 その前触れもあった。4月には写真雑誌『カメラマン』(モーターマガジン社)が5月号を最後に休刊しており、5月には銀座ニコンサロンの閉鎖も発表されたのだ。ことに後者は半世紀以上の歴史のなかで、企業メセナの先駆けとして高い評価を受けている。それに加えての『アサヒカメラ』休刊は、ひとつの時代がはっきり終わったことを突きつけてきた。

 改めて振り返ると『アサヒカメラ』の誌面は、常に網羅的だった。つまり写真作家が作品を発表できる舞台であり、信頼すべきバイヤーズガイドであり、有望なアマチュアが競い合うコンテストの場でもあったのだ。また同誌が1975年に創設した、優れた新進写真家を選出する木村伊兵衛写真賞は「写真界の芥川賞」とも形容されている。

 このようにシリアスな写真表現からホビーとしてのカメラ趣味までが同居した、同誌のような総合写真雑誌は諸外国に例がない。筆者は1990年代に『アサヒカメラ』の編集長を務めた人物から、同誌の路線とは「中華丼」だと聞いたことがある。様々な食材を一皿で楽しめることに、その存在意義があるとのことだった。こうした路線は曖昧だとの批判もあるが、様々な写真愛好者の交流を促し、写真文化を豊かに耕してきた。このことは同誌のバックナンバーを辿るとよく分かる。それは日本の写真史についての第一級の史料となっている。

 筆者は、創刊90年を迎えた2016年から翌年にかけ「アサヒカメラの90年」を同誌に連載した。そのさい、同誌の展開が、日本の視覚文化全体にも影響を及ぼしているという事実を改めて確認した。まず、創刊自体がひとつの文化的事件だったのだ。

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筆者

鳥原学

鳥原学(とりはら・まなぶ) 写真評論家

1965年生まれ。近畿大学卒業。2000年から評論活動に入る。現在、日本写真芸術専門学校主任講師、東京造形大学非常勤講師、武蔵野美術大学非常勤講師。著書に『日本写真史(上、下)』(中公新書)、『写真のなかの「わたし」──ポートレイトの歴史を読む』 (ちくまプリマー新書)、『時代を写した写真家100人の肖像(上、下)』(玄光社)など。2017年日本写真協会賞学芸賞受賞