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「コロナを考える」を創作の勇気に変える道筋

【後編】公園で独り芝居。何を学び、思い出したか

串田和美 演出家・俳優・舞台美術家

 演出家・俳優の串田和美さんが考える、「コロナ」のある世界、後編です。前編はこちら

観客のいない相撲、配信される演劇を観て……

拡大無観客で行われた大相撲春場所の初日。朝乃山(右)が隠岐の海を寄り切った取り組み=2020年3月8日、大阪市のエディオンアリーナ大阪
 無観客の相撲の映像を観た。

 客席には誰もいないが相撲取りたちはいつもと同じように四股を踏み、行司はいつものように軍配を返した。相撲取りは全力で戦っていた。しかしそれは相撲ではなかった。

 相撲は相撲取りだけでするものではなく、そこにいる観客達の声援や応援する念のようなものを相撲取りが吸収し、吐き出す力で勝負をし、そのことを観客は感覚的に喜んだり残念がったりし、その大勢の感情のうねりこそ相撲なのだなと、改めて感じた。それはきっと他のスポーツにも言えることだろうし、もちろん演劇やライヴコンサートこそ、その最たるものだ。

 イギリスのナショナルシアターの舞台映像を観たが、それがどんなに優れた作品であったとしても、自分自身はそこに居合わせていないわけで、私にとってそれは記録映像であり、データに過ぎないと感じた。だからつまらないなどと言うつもりではないし、勿論感動するものもある。しかしそれは演劇の本質そのものではない。自分一人ではなく、多くの他者とそこに居合わせるからこそ“芝居”なのだ。

 日本でも多くの演劇の仲間達が、この状況に苛立ち、悲しみ、無観客の芝居の映像や、過去の舞台記録をネット配信した。私自身の過去の作品のいくつかも配信されたし、やはり中止せざるを得なくなり、急遽ネットによる発信に切り替えたヨーロッパの国際演劇フェスティバルに、映像提供もした。

 私はそのことに複雑な違和感を感じると同時に、こうまでしても何かを表示しなければならない表現者達の想いや願いをヒシヒシ感じ、これはたとえ本質的な演劇行為ではないとしても祈りに似た演劇セレモニーなのだろうと思い、そう思うと涙があふれた。

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筆者

串田和美

串田和美(くしだ・かずよし) 演出家・俳優・舞台美術家

1942年生まれ。66年、斎藤憐、吉田日出子らとともに劇団自由劇場(後にオンシアター自由劇場と改称)を創設。代表作に『上海バンスキング』『もっと泣いてよフラッパー』などがある。85年から96年まで、東京・渋谷のシアターコクーン芸術監督として、コクーン歌舞伎など多くの成果をあげた。2003年から、まつもと市民芸術館(長野県松本市)の芸術監督を務めている。海外公演も数多い。

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