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「美しい日本と私」

「DISCOVER JAPAN 美しい日本と私」をアピールする広告塔。製作費は1本800万円で、全国数十カ所にあった=1971年、東京・上野駅前拡大「DISCOVER JAPAN 美しい日本と私」をアピールする広告塔。製作費は1本800万円で、全国数十カ所にあった=1971年、東京・上野駅前
 グループインタビューを分析した藤岡チームは、若い女性層に発信するメッセージを、「ディスカバー・マイセルフ」というコンセプトで組み立てることにした。周知のように、この「自分発見」は旅行消費のみならず、1970年代以後の若者向けマーケティングの大きな柱になっていく。

 だが、藤岡たちもそこまでは読めていなかったのだろう。「マイセルフ」とは日本人自身であるというチーム内の(不思議な)議論の結果、キャンペーンネームは「ディスカバー・ジャパン」に落ち着いた。電通は国鉄へのプレゼンテーションで、さかんに“目的地販売ではなく、自ら創り日本や自分自身を再発見する旅でなければならない”と主張した。国鉄側にはこうした大仰な意見に戸惑う声もあったものの、強い異論や反対は出なかったようだ。

 電通の思惑は、扱い額の小さな個別観光地や旅行企画の媒体は他に任せて、大型キャンペーンの“本丸”を取ることだったのだろう。まだ目新しかったマス広告の理論に則って、潜在顧客の欲望を喚起するメディアミックスを仕掛けようと考えたのは間違いない。その先陣を切ったのが、観光地を写さず、場所も記さず、心象をつづったようなコピーを添えた大型のポスターだった。

「ディスカバー・ジャパン」をキャンペーンするポスターは数百種類あった。=1971年、東京・上野駅旅行センター  拡大「ディスカバー・ジャパン」をキャンペーンするポスターは数百種類あった=1971年、東京・上野駅旅行センター

 たとえば寺の広大な本堂に女性が一人正座した姿を俯瞰で撮り、脇には「目を閉じて…何を見よう。」のコピー。また、

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筆者

菊地史彦

菊地史彦(きくち・ふみひこ) ケイズワーク代表取締役、東京経済大学大学院(コミュニケーション研究科)講師

1952年、東京生まれ。76年、慶應義塾大学文学部卒業。同年、筑摩書房入社。89年、同社を退社。編集工学研究所などを経て、99年、ケイズワークを設立。企業の組織・コミュニケーション課題などのコンサルティングを行なうとともに、戦後史を中心に、<社会意識>の変容を考察している。現在、株式会社ケイズワーク代表取締役、東京経済大学大学院(コミュニケーション研究科)講師、国際大学グローバル・コミュニケーションセンター客員研究員。著書に『「若者」の時代』(トランスビュー、2015)、『「幸せ」の戦後史』(トランスビュー、2013)など。

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