松本裕喜(まつもと・ひろき) 編集者
1949年、愛媛県生まれ。40年間勤務した三省堂では、『日本の建築明治大正昭和』(全10巻)、『都市のジャーナリズム』シリーズ、『江戸東京学事典』、『戦後史大事典』、『民間学事典』、『哲学大図鑑』、『心理学大図鑑』、『一語の辞典』シリーズ、『三省堂名歌名句辞典』などを編集。現在、俳句雑誌『艸』編集長。本を読むのが遅いのが、弱点。
※プロフィールは、論座に執筆した当時のものです
今回の新型コロナウイルス感染症(COVID-19)には驚いた。2019年12月に中国武漢の海産物や生きた動物を売る市場にかかわる人のあいだで集団発生した後、この肺炎に似た症状の急性呼吸器疾患は中国国内から世界へ広がり、3月11日には世界保健機関(WHO)からパンデミック(世界的大流行)宣言が出された。6月28日現在、国内の感染者は1万8522人、死者は972人、世界の感染者は1000万人超、死者は49万人超とされる。
重症急性呼吸器症候群(SARS)や中東呼吸器症候群(MERS)と同様、最初は私にとって新型コロナは他人事の世界の話だった。病気にはそういうところがある。身内や親しい者に罹患者がいない場合には、もう一つ実感がわかないのである。
4月半ばに友人から紹介されて読んだ藤原辰史「パンデミックを生きる指針――歴史研究のアプローチ」は私の目を覚まさせてくれた。目の前で起こっている歴史的事態にまともに向き合う気持ちになったのである。
以下、この小論文を要約してみよう。
まず藤原は、「目の前の輪郭のはっきりした危機よりも、遠くの輪郭のぼやけた希望にすがりたくなる」人間の性向を指摘する。しかし、ペストの猛威、スペイン風邪、東京電力の原発事故などの重大な危機が到来したとき、歴史はそうした希望を冷酷に打ち砕いてきた。
いま参照すべき歴史的事件は100年前の「スペイン風邪」だという。アメリカを震源地とするこのインフルエンザは、1918年から1920年にかけて3度のパンデミックを繰り返し、最大1億人の命を奪った(後出の『人類と病』によると、1918~23年の犠牲者は7500万人とする統計もある)。第一次世界大戦の死者よりも多くの死者を出したスペイン風邪だったが、その割には教科書などの歴史叙述からも人々の記憶からも消え失せ、歴史的検証が十分になされてこなかったようだ。
藤原によれば、本当に怖いのはウイルスではなく、ウイルスに怯える人間である。そして「パンデミックを生きる」指針として以下の5項目を提唱する。
第一に、うがい、手洗い、歯磨き、洗顔、換気、入浴、食事、清掃、睡眠という日常の習慣を守ること。よく食べ、よく笑い、よく寝ることは免疫力をつける重要な行為なのだ。
第二に、組織内、家庭内での暴力や理不尽な命令には異議申し立てをすること。
第三に、戦争、五輪、万博など簡単に中止や延期ができないイベントに国家が力を入れすぎないこと。
第四に、経済のグローバル化のなかで弱い立場にいる人にとって、新型コロナ感染の危機がもたらすものをよく考えること。
第五に、危機の時代であっても、情報を抑制したり、的確に伝えなかったりする人たちへの異議申し立てをやめないこと。これは政治家への注文ばかりではない。個人の生命にかかわるようなインターネット上の記事は無料配信するのが、新聞・放送などメディアの社会的責任とも指摘する。
最後に、武漢での封鎖の日々を日記につづって公開した作家・方方(ファンファン)の言葉が紹介されている。
一つの国が文明国家であるかどうか(の)基準は、高層ビルが多いとか、クルマが疾走しているとか、武器が進んでいるとか、軍隊が強いとか、科学技術が発達しているとか、芸術が多彩とか、さらに、派手なイベントができるとか、花火が豪華絢爛とか、おカネの力で世界を豪遊し、世界中のものを買いあさるとか、決してそうしたことがすべてではない。基準はただ一つしかない、それは弱者に接する態度である。(王青訳)
武漢封鎖から2日後の1月25日から3月24日までSNSに投稿された方方の「武漢日記」は、英語版・日本語版などの出版が予定されているようだが、「中国の負の面を西側諸国に売り渡した」と国内では激しい批判にさらされているという(『朝日新聞』6月10日)。
日本政府の抱いた「遠くの輪郭のぼやけた希望」は今春に予定されていた習近平の来日と、7月に予定されていた東京オリンピックの開催であったが、両者とも延期を余儀なくされた。山本義隆「コロナとオリンピックに思うこと」は、自分の通院体験を通してブラックな医療現場の危機を指摘しつつ、「1月~3月の過程で何を間違えたのか」「商業主義と国家主義丸出しのオリンピック」「人類の生存が地球のキャパシティを越えつつある」と、コロナ後の世界がどう変わるべきなのかを問いかけている。「途方もない税金を使って一部の企業だけが潤うオリンピックは、もうこれを機会に終わりにすべきでしょう」との呼びかけには説得力があると思った。