不幸が待ち受けているとわかっている、そんなドラマを見るような気持ちで見守った。6月27日放送で一旦終了、29日からは再放送となっている朝ドラ「エール」(NHK)のことだ。
主人公・古山裕一(窪田正孝)のモデルは、作曲家の古関裕而。5000曲以上を残したそうだから、山あり谷ありにしても幸福な人生。だけど、不幸が待ち受けている。そう感じていたのは、いずれ放送が中断されるだろうと思いながら見ていたから。当たり前のはずの「朝ドラ」が消える。その日が、刻一刻と近づくことを感じていた。そう「エール」は、初めから新型コロナウイルスと共にあった。

NHKの連続テレビ小説「エール」で、主人公の窪田正孝(左)とその妻役の二階堂ふみ
初回は3月30日。原始時代から始まったことが、意表を突く演出と話題になった。だが私にとって意表を突かれたのは、それよりも4月1日にNHKが発表した「収録の一時休止」の方だった。出演者やスタッフの数が多く、安全対策に「一定の限界がある」と判断したためで、大河ドラマ「麒麟がくる」も同様の決定という発表だった。
同じ頃、民放各局からも新ドラマ延期などの発表が相次いでいた。朝ドラといえども、三密は避けねばならない。それなのに意表を突かれたと感じたのは、「朝ドラ」すなわち「日常」で、あって当たり前という意識が強かったからだと思う。
6日後の7日には「休止の延長」が発表された。朝ドラは半年の長丁場だから、収録開始もきっと早かっただろう。ストックがあるから、収録が再開されれば放送は続くかも。そんな期待は、同じ日に出された「緊急事態宣言」ですっかり吹き飛ばされた。世の中から「当たり前」が一気に消えた。放送が止まる日も、必ず来る。そう思うようになった。
5月15日、「6月27日をもって、『エール』の放送を一時休止する」と発表された時は、「ああ、そうか」と静かに受け止めた。朝ドラ休止はもはや、「よくある異変」の一つでしかなかった。リーマンショックを超える不況になると報じられ、不安でいっぱいになった。心に穴があいている。そんなふうに感じていた。政府はあてにならない。これからどうなるのだろう。止まる日がわかった朝ドラを見ながら、穴は大きくなっていた。