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つかこうへいの稽古場で起きていたこと

作家と役者は何をしていたのか(下)

長谷川康夫 演出家・脚本家

 つかこうへいが「口立て」で芝居を作った稽古場の真実を伝える、後編です。前編はこちら

「六割は役者に書かせてもらう」の真意

拡大『寝盗られ宗介』の稽古場でのつかこうへい=1982年、©斎藤一男

 どうすれば役者が輝いて見えるかを見抜く天才……つかの演出する舞台を踏んだ人間で、この言葉に異議を唱える者は、一人としていないはずだ。

 50を過ぎてからのつかは、NHK衛星放送での扇田昭彦によるインタビューの中で、こう語っている。

「劇作家が書けるのは四割ぐらい。あとの六割は役者に書かせてもらうんです」

「僕の戯曲は基本的に役者を魅力的に見せる芝居で、あまり文学性がない。別役実さんや井上ひさしさんのように文学として完成させるタイプの戯曲とは違うんです」

                    (※『才能の森』朝日新聞社刊)

 それなりの年齢になり、あえて殊勝さを装ってみせたのだろう、騙されないぞと、僕などは穿(うが)った見方をしてしまうのだが、「口立て」という芝居作りの中で、役者が果たす役割がかなり大きかったことは確かだ。「書かせてもらう」というのもまんざら嘘ではないだろう。

 それは、つかが発する台詞としての「音」は絶対的ではあるものの、もし完全にコピーできても、つかの納得する芝居になるわけではない、ということに繋がる。ただの口マネでは、真につかの求める「音」にはならないのだ。

 大事なのは台詞を与えられたとき、つかが何を面白がっているか、何を伝えたがっているかを、瞬間的に理解し、同じ意味のこもった言葉を返すことなのだ。逆にそれが出来れば、つかはその役者に寄り添い、彼をどうやって観客に魅力的に見せてやるかを主題として、芝居作りが進んでいくのである。

 もちろんそこでも、罵倒や非難はつきものだ。何を言われたら、そいつが一番傷つくか、誰よりも知っているのがつかである。とにかく、ある人間の持っている弱みであるとか、心の奥にある傷、やましさ、計算などを見抜くことにかけては、これも天才的であり、そこを徹底的に攻め、いたぶるのだ。

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筆者

長谷川康夫

長谷川康夫(はせがわ・やすお) 演出家・脚本家

1953年生まれ。早稲田大学在学中、劇団「暫」でつかこうへいと出会い、『いつも心に太陽を』『広島に原爆を落とす日』などのつか作品に出演する。「劇団つかこうへい事務所」解散後は、劇作家、演出家として活動。92年以降は仕事の中心を映画に移し、『亡国のイージス』(2005年)で日本アカデミー賞優秀脚本賞。近作に『終着駅ターミナル』(15年、脚本)、『あの頃、君を追いかけた』(18年、監督)、『空母いぶき』(19年、脚本)などがある。つかの評伝『つかこうへい正伝1968-1982』(15年、新潮社)で講談社ノンフィクション賞、新田次郎文学賞、AICT演劇評論賞を受賞した。20年6月に文庫化。

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