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『黒人はなぜ待てないか』(マーチン・ルーサー・キング)からBLMへ

半世紀前の公民権運動から現在のアメリカを照射する

三浦俊章 ジャーナリスト

 混迷の時代をどう読み解くべきか。このコラムでは、書物の世界にヒントを求め、現代史の流れを読み解く補助線を探していく。今回は、1960年代のアメリカで人種差別制度の廃止を求めた公民権運動を取り上げる。現在、世界に広がる「ブラック・ライブズ・マター(BLM、黒人の命も大切だ)」デモの先駆となった運動だ。その公民権運動の指導者キング牧師の実像に迫ってみたい。

『黒人はなぜ待てないか』(みすず書房)と『マーティン・ルーサー・キング――非暴力の闘士』(黒崎真、岩波新書)

 アメリカ南部テネシー州のメンフィスは人口65万人、大河ミシシッピ-に面した同州最大の都市である。奴隷制に基づくプランテーション農業で南部が栄えたころは、綿花の積出し港だった。黒人音楽ブルースの街であり、エルビス・プレスリーの生地でもある。だが、このメンフィスには、もうひとつ忘れてはならない歴史がある。

闘士としてのキング牧師

 1968年4月4日、公民権運動の指導者キング牧師が、遊説に訪れたメンフィスで白人男性に狙撃され、命を落とした。キング暗殺は全米に衝撃を与え、各地で暴動が発生した。暗殺後の1週間で、125都市で43人が死亡、2万人が逮捕される事態となった。

 非業の死は、キング牧師を神格化した。1983年、キングの誕生日はアメリカ国民の休日(1月の第3月曜日)に制定された。キングは法の下での平等を求めた公民権運動の指導者として称えられ、2012年には首都ワシントン中心部のモールと呼ばれる緑地帯に記念碑も出来た。

 キングがリンカーン記念堂前で行った演説は日本でも知られている。

 「私には夢がある。いつの日か、ジョージアの赤い丘で、元奴隷の息子と元奴隷所有者の息子が、兄弟愛の同じ食卓につくのです。……私には夢がある。私の四人の子供たちがいつの日か、肌の色ではなく、人格の中身によって判断される国家に住むようになるのです」(『アメリカの黒人演説集』、荒このみ編訳、岩波文庫)

 この理想的な語り口と、暗殺という悲劇が、キングという偉人の物語をかたちづくった。だが、キングの実像は理想家という言葉だけでは収まらない人物だった。ときに「過激主義者」と見られることを恐れない公民権運動の闘士でもあり、ときに世論への効果を冷徹に計算するリアリストでもあった。

 そういうキングの複雑な側面を見落とすと、かつての公民権運動が与えたインパクトも、現在の「ブラック・ライブズ・マター」がアメリカ社会に与えるであろう影響力も理解できないのではないか。

 まずは、キング自身の言葉に耳を傾けてみたい。

「黒人の命も大切だ」。ジョージ・フロイドさんの追悼式で叫ぶ黒人男性=2020年6月4日、ニューヨークで。藤原学思撮影

「過激」であることを恐れない

 キング牧師は1929年に南部ジョージア州の州都アトランタで、3代続く牧師の家系に生まれた。キングが育った時代には、学校などの施設やバスは「白人」と「カラード(有色人種、すなわち黒人)」の隔離が徹底されていた。奴隷解放宣言後も、南部では人種差別は強固な現実であった。

 1954年、名門のボストン大学神学部大学院を卒業したキングは、南部に戻って、アラバマ州モンゴメリーの教会に赴任した。翌1955年12月、女性裁縫師ローザ・パークスがバスで白人乗客に席を譲らなかったために、逮捕される事件が起きた。

 かねて人種差別慣行に抗議していたバーミンガムの黒人コミュニティーはバス・ボイコットに動く。1年余りの闘いは黒人側の完全勝利に終わる。その運動を指導したのが新人牧師キングだった。

 公民権運動の指導者となったキングは、インドの独立の父ガンジーから非暴力直接行動を学ぶ。人種隔離を行う食堂に「シット・イン(座り込み)」を行った。

 黒人の青年が白人専用のランチカウンターに座り、コーヒーを注文する。コーヒーは出てこない。それでも席を占拠し続けると、地元白人に暴力をふるわれ、しまいには警官に逮捕される。だが、決して殴り返しはしない。白人の暴力を誘発することで、その不正を世論に訴える狙いだった。

 だが、こうした非暴力直接行動に対しては、「交渉という手段に訴えるべきだ」との批判が、白人の聖職者からもあがった。逮捕されて監獄に拘留されたキングは、彼らにあてて「バーミンガムの獄中からの手紙」(1963年4月発表)を執筆、反論する。以下の引用はキングの著書『黒人はなぜ待てないか』(邦訳みすず書房、中島和子・古川博巳訳)による。

 キングは、話し合いこそは自分たちがまさに望んでいることだという。

 「非暴力直接行動のねらいは、話し合いを絶えず拒んできた地域社会に、どうでも争点と対決せざるをえないような危機感と緊張をつくりだそうとするものです」(96ページ)
そう考えるのは、権利は闘わない限り獲得できないという信念があるからだ。

 「自由は決して迫害者の側から自発的に与えられたことはなく、迫害に虐げられている側が要求しなければならないのだ」(98ページ)

 キングは「過激主義者」というレッテルをはられた。だが、こう考えるようになった。
「『あなたがたの敵を愛し、……迫害する者のために祈れ』というイエスは、愛についての過激主義者ではなかったでしょうか」(108ページ)

 キングの非暴力直接行動とは、おとなしく相手の善意に期待するだけの甘い物ではない。

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