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 1970年代、若者たちは競うように海外へ出ていった。ジャンボジェットの就航と世界的なヒッピー・ムーブメントが重なって、バッグパッカーの旅が身近になったからだった。

 26歳の沢木耕太郎も、そうしたブームに便乗するかのように、ユーラシア大陸へ出ていった。本人はさほど自覚していなかったかもしれないが、本格的な物書きとしてやっていくために、彼はこの旅の中で、あらためて「自分」を見つめ直したいと考えていた……。

 ところが、『深夜特急』(1986~1992)の中で「(旅の)目的」という言葉は慎重に排除されている。代わりに旅の前半でたびたび現れるのは、“発見の感覚”とでもいうべきものだ。それは自身が何かの囚われから脱け出した時に感じられる「自由」という言葉に象徴されている。たとえば、旅の最初の寄港地、香港の街の熱に感応し、無我夢中の街歩きに没頭する第二章の「黄金宮殿」。旅人は次のように書きつける。

日がたつにつれて、しだいに身が軽くなっていくように感じられる。言葉をひとつ覚えるだけで、乗物にひとつ乗れるようになるだけで、これほど自由になれるとは思ってもいなかった。

 これはおそらく沢木の正直な実感だったのだろう。

 ネイティブ・ランゲージの広東語ではなく、英語の会話と漢字の筆談であっても、ストリート・コミュニケーションの楽しさ、“通じる”ことの面白さは十分に味わえる。香港仔(アバディーン)で、水上難民の少女と交わされた筆談には染み入るような情感がある。 

 交通機関もそうだ。路面電車やバスやフェリーを利用しているうちに、人々と乗物との結びつきが見えてくる。沢木はスターフェリーに繰り返し乗るうちに、その短い航海が、巨大な喧騒の中で「不思議な静謐さ」を醸し出す「ほとんど唯一の聖なる場所」であることに気づいたりする。

eWildingshutterstock拡大香港のスターフェリー eWilding/Shutterstock.com

 何かに感じ、何かを理解することを通じて、しだいに旅人は自由になる。

 マカオのカジノで大負けを辛うじて挽回して賭場を離れた時、インドの便所で紙を使わず左手で処理できるようになった時、沢木は「またひとつ自分が自由になれた」と感じる。それまで無意識のうちにまとっていた防御の衣を脱ぎ捨ててみると、それが強制していた不自由に気がつき、本来の自由な見方や仕方で世界に立ち会っている自分がいる。

 あらかじめ定められた「目的」があり、その達成に向かって歩を進めるのではなく、ことの成り行きに身を添わせていくことで自然に現れ出す自由な「自分」。この時期、世界中の若者たちがヒッピー・ムーブメントを介して近づいていったこの感覚は、アジアを行く沢木の中にもあったのだろう。

 ただし、玉葱の皮を剥くように「自分」をいくら脱いでいっても「芯」は現れない。思いがけない「自由」感の到来を楽しみながら、次第に沢木は当初の旅の「目的」が遠ざかっていくような心もとなさを感じ始める。果たして「自分探し」とは「目的」足りうるのだろうか。この疑念が次第に旅の焦点を失わせ、速度感と高揚感を減衰させていく。

 代わりに沢木は、旅の後半で少し種類の違う着想を得る。それは、“旅の終え方”という新たに生まれたテーマからこぼれ出てきた。

 『深夜特急 第一便 黄金宮殿』の6年前に書かれた「汐どき」という短いエッセイには、このアイデアの起点となった事態が書きつけてある。「オンザロード」という連載の6回目に書かれた文章はこんなふうに始まる。

その旅に始まりがあったとすれば、やがて終わりがくるに決まっている。だが、目的もなく期限もなく、ただ異国をうろついている者には、それがいつどのような形でやってくるのか、自分でもわかっていない。(『路上の視野』、1982、所収)

 ここで沢木は、目的のない異国の旅をする者は、それを終える契機をどのように見出せばいいのかという問いを自身に投げかける。問いを探り出そうと手もとの旅行記や放浪記を引っくり返すが、それらには(意外なことに)確固とした目的がちゃんと書き込まれていた。唯一の例外的な作品は、金子光晴の『どくろ杯』『ねむれ巴里』『西ひがし』(1971~1974)だった。

 この3部作の3番目に、沢木は「汐どきを失って」という言葉を見出す。

《もはや、これ以上の滞在は、ルパージュ氏がひどく心配してくれたように、汐どきを失って、パリのごった返しに戻り、十年、十五年という長逗留の涯て、投込みの墓地に骨を捨てられ、永久に下敷きになって、地球の終わるときを待つしかない》(前掲書より引用)

 目的のない旅を続ける者は、自ら汐の干満を見て、「終えるべき刻」を見出さなくてはならないが、やがてすべてに倦み、汐の動きそのものを見る気力さえ失っていく。「汐どきを失う」とはそのような事態を指しているに違いない……。

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筆者

菊地史彦

菊地史彦(きくち・ふみひこ) ケイズワーク代表取締役、東京経済大学大学院(コミュニケーション研究科)講師

1952年、東京生まれ。76年、慶應義塾大学文学部卒業。同年、筑摩書房入社。89年、同社を退社。編集工学研究所などを経て、99年、ケイズワークを設立。企業の組織・コミュニケーション課題などのコンサルティングを行なうとともに、戦後史を中心に、<社会意識>の変容を考察している。現在、株式会社ケイズワーク代表取締役、東京経済大学大学院(コミュニケーション研究科)講師、国際大学グローバル・コミュニケーションセンター客員研究員。著書に『「若者」の時代』(トランスビュー、2015)、『「幸せ」の戦後史』(トランスビュー、2013)など。

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