必ず「主役」になる瞬間、温情のダンディズム
2020年07月18日
つかこうへいの芝居の作る舞台に立つことが、役者たちにとって、なぜ「やめられない」ものだったか。それは観客に「ウケる」喜びを確実に体感することが出来たからだと、前回(上、下)書いた。
しかし役者にとっての「演(や)りがい」は、それ以上に、与えられたどんな役であっても必ず、その舞台上の物語を進める中で、必要不可欠なパートを託されていたということに尽きる。
簡単に言ってしまえば、当時のつかが作る芝居に「その他大勢」はいなかったのだ。どんなに台詞が少なかろうが、出番が限られていようが、裏切ることなく、その役者が主役となる瞬間を作ってくれるのが、つかこうへいだった。
当時の紀伊国屋ホール(東京・新宿)であれば、420名ほどの定員に加え、二つの階段通路に1段2人ずつ、舞台前から最後尾までびっしり座る当日券の客。さらに両サイドの入り口脇に固まったり、座席最前列と舞台の隙間まで埋める数を合わせれば、650を超える観客全員の目が、間違いなく自分に注がれる時間を経験できるのである。
「見られてナンボ」の役者にとって、これほど幸せなことはない。
例えば、劇団解散の2年半ほど前に新人として加わった、当時21歳の酒井敏也は、その2か月後にはすでに紀伊国屋での初舞台を踏んでいる。『いつも心に太陽を』という芝居で、国体高校男子1500メートル自由形決勝のスタート台に立つ選手の一人として、風間杜夫や平田満と並ぶのだ。
つかが与えたその姿は色白のぽっちゃり体型に赤ふんどしひとつといったもので、スターターから「おい、そこのトッチャン坊や! 学習院!」と声をかけられ、それだけで客席はドッと沸くという仕掛けだ。終演後に酒井を見かけた観客は、誰もが「あ、学習院の子だ」と、覚えてくれているのである。
そんな中、小夏と一緒に住んでいることを自慢するヤスはマコトに、子供を宿している小夏の腹をさわってやれとけしかける。マコトは悪気もなく嬉しげに近寄り、ヘラヘラと手を伸ばす。その瞬間、小夏にひっぱたかれるのである。
ハッとしたように怯(ひる)み、申し訳なさそうにうつむくマコト。かつてのスター女優に対する大部屋という自分の立場を思い知らされる、情けなくも、哀しい姿である。
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