玉川奈々福(たまがわ・ななふく) 浪曲師
横浜市生まれ。出版社の編集者だった94年、たまたま新聞で浪曲教室のお知らせを見て、三味線を習い始め、翌年、玉川福太郎に入門。01年に曲師から浪曲師に転じ、06年、玉川奈々福の名披露目をする。04年に師匠である福太郎の「徹底天保水滸伝」連続公演をプロデュースして大成功させて以来、数々の公演を企画し、浪曲の魅力を広めてきた。
※プロフィールは原則として、論座に最後に執筆した当時のものです
弟子をとって改めて思う
昨年3月に、初めての弟子をとりました。
ほぼ同時期に、私を長年弾いてくださっている曲師の大ベテラン・沢村豊子師匠にも、三番目のお弟子さんが入りました。
浪曲は、一人の芸ではありません。三味線と二人の芸です。
しかも浪曲には、譜面がありません。
浪曲師と三味線が、互いの呼吸をはかりながら、追いつ追われつ、ガチンコに組んで、一席を作り上げていくのです。
毎回、セッションです。
ですので、浪曲師の卵も、曲師の卵も、自分の師匠とお稽古するだけでは、稽古になりません。
浪曲師の卵のお稽古にはお三味線が。曲師の卵のお稽古には、浪曲師が、必要です。
5年前、豊子師匠に二番目のお弟子さんが入ったときに、私は初めて「稽古台」になりました。つまり、お弟子さんの稽古のために、うなる役目です。
まずは、師匠である豊子師匠から、三味線の扱い方、撥(ばち)の持ち方、糸への当て方、糸の押さえ方を徹底的に教わります。それを間違えると、美しい音色が出ない。
譜面がないと申しましたが、教えるメソッドもなければ、教則本らしきものも一切ありません。お弟子さんは、師匠の芸をひたすら見て、聴いて、身体にうつしとる。
ある意味、一番確実な伝授かもしれないけれど、うつしとるのに、全感覚をフル稼働しなければなりません。
師匠の芸を真似つつ、すぐにも浪曲師との稽古。うなる浪曲師に三味線を合わせるのだが、これまた浪曲師が、さまざまに注文を出す。
音が弱い! ツボが違う!
私の渡しかたをよく聞き分けなさい。私がこう、うなったら、この節に入るのだ。
ここはこういう場面だから、こういう手を入れるのだ。
こんな悲しい場面にそんな手を弾いてどうする。
それじゃあ背中を押してない、足を引っ張る三味線だ。
強弱のアクセントが違う。
お弟子さんも大変です。師匠が二人いるようなもんです。
でも、こちらも、仕事が忙しいときに、稽古のために商売の声を使うのは、辛いです。
仕事のために、声を温存しておきたい。
でも、未来の曲師を、育てなくちゃならない。
浪曲に曲師は不可欠。稽古はしてやりたい、でも体力的にも大変、もう、弟子とるのって、こんなに大変なの……?
そうやって育ったのが、いま、しっかり独立して多くの演者を弾くようになった、沢村美舟です。