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「ジャニーズJr.黄金期」の歴史的意味、そして嵐のデビュー

太田省一 社会学者

 前回は、SMAP以降1990年代にデビューしたTOKIO、V6、KinKi Kidsについてみた。今回は、同じく1990年代に起こったジャニーズJr.が爆発的人気を獲得した「Jr.黄金期」について、その歴史的意味を押さえる。そのうえで、そのブームのなかで登場した嵐のデビューまでを振り返ってみたい。

「Jr.黄金期」の画期的意義

 前回、KinKi Kidsについて、ジャニーズが次のステップに進む転換点に登場したグループではないか、と書いたが、その「次のステップ」は1990年代後半から2000年代初めのジャニーズJr.のブーム的人気となって現れた。

 ここまでジャニーズJr.については何度かふれてきた。そのなかには、たとえば少年隊のようにメジャーデビュー以前からメディアに露出して人気になるグループもいなかったわけではない。

 ところが、このときはJr.のなかのどのグループや個人が、ということではなくジャニーズJr.全体が人気になったという点で前代未聞のことだった。いわゆる「Jr.黄金期」の到来である。

 ほぼ同じ時期にKinKi Kidsなどが「YOU、○○しちゃいなよ」とジャニー喜多川の口調を真似ながらテレビなどでジャニーズのエピソードトークをするようになったこともあった。「Jr.黄金期」は、そうしたこととも重なりながら、特定のグループや個人だけでなく「ジャニーズ」という独特の文化を有する集団そのものを応援する時代、いまに続く新しいファン文化の本格的始まりを記す出来事だった。

 この黄金期の中心的存在だったのが、総勢100人を優に超えるJr.のリーダーを務めたタッキーこと滝沢秀明である。1995年に13歳で入所。すぐにドラマ出演するようになり、教師役の松嶋菜々子と禁断の恋に陥る高校生役を演じた『魔女の条件』(TBSテレビ系、1999年放送)などで話題を集めた。その後、滝沢は同じくJr.の中心のひとりだった今井翼とのデュオであるタッキー&翼で2002年にCDデビューすることになる。

 このときのJr.のなかには、創設されたばかりの関西ジャニーズJr.のメンバーもいた。なかでも当時人気だったのが渋谷すばるで、抜群の歌唱力も相まって「東のタッキー、西のすばる」と並び称された。ほかにも関西ジャニーズJr.には横山裕、村上信五、丸山隆平、安田章大、錦戸亮、大倉忠義らが所属していて、彼らはその後関ジャニ∞としてCDデビューすることになる。

 ほかにも山下智久、生田斗真、風間俊介、小原裕貴など多士済々だった当時のジャニーズJr.の勢いには凄まじいものがあった。

 テレビでは、『ミュージックステーション』(テレビ朝日系)のような音楽番組への出演はいうまでもなく、『愛LOVEジュニア』(テレビ東京系、1996年放送開始)や『8時だJ』(テレビ朝日系、1998年放送開始)といったJr.の冠バラエティ番組が始まった。『愛LOVEジュニア』の開始がデビュー組であるV6の『学校へ行こう!』よりも早く、『8時だJ』は夜8時というゴールデンタイムの1時間番組であったところに、当時の彼らの人気ぶりがうかがえる。

 ライブでも、彼らは圧倒的な観客動員力を誇った。1999年10月には、CDデビュー前に東京ドームでコンサートを開催した最初のアーティストになった。さらに2000年には、3大ドーム(東京、ナゴヤ、大阪)コンサートを実現するに至る。


筆者

太田省一

太田省一(おおた・しょういち) 社会学者

1960年、富山県生まれ。東京大学大学院社会学研究科博士課程単位取得満期退学。テレビ、アイドル、歌謡曲、お笑いなどメディア、ポピュラー文化の諸分野をテーマにしながら、戦後日本社会とメディアの関係に新たな光を当てるべく執筆活動を行っている。著書に『紅白歌合戦と日本人』、『アイドル進化論――南沙織から初音ミク、AKB48まで』(いずれも筑摩書房)、『社会は笑う・増補版――ボケとツッコミの人間関係』、『中居正広という生き方』(いずれも青弓社)、『SMAPと平成ニッポン――不安の時代のエンターテインメント 』(光文社新書)、『ジャニーズの正体――エンターテインメントの戦後史』(双葉社)など。最新刊に『ニッポン男性アイドル史――一九六〇-二〇一〇年代』(近刊、青弓社)

※プロフィールは原則として、論座に最後に執筆した当時のものです

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