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国民的アイドルになった嵐、そのジャニーズ史的意味

太田省一 社会学者

 前回は、ジャニーズJr.がブーム的人気を博した「Jr.黄金期」とその歴史的意味、そしてそのなかで誕生した嵐のデビューの様子についてみた。今回は、その嵐が国民的アイドルとなっていくプロセスをたどり直したうえで、その人気の理由についてジャニーズの歴史という観点から改めて考えてみたい。

国民的アイドルになった嵐

 1999年のデビュー後も、嵐は活動の幅を広げるとともに人気を高め、国民的アイドルと呼ばれるようになっていく。

 2000年にはファーストコンサートを開催、2007年にはデビュー前のお披露目の場でもあった東京ドームで単独初公演を実現する。また2008年には5大ドームツアー、さらにジャニーズとしてはSMAPに次いで2組目となる国立競技場でのコンサートを開催した。

 このときの国立競技場での公演は、自身2度目となるアジアツアーの一環でもあった。台湾、韓国、中国などでの公演は、東アジア中心に海外でもジャニーズの人気が広がりつつあったことを示す。嵐はその代表としてのポジションにもあった。

 そうして着々と実績を積み重ねていくなかで、2009年『NHK紅白歌合戦』に初出場。デビュー曲「A・RA・SHI」(1999年発売)、「Love so sweet」(2007年発売)をはじめとした4曲のスペシャルメドレーを披露した。

 それまでジャニーズからはSMAPとTOKIOの2組のみの出場というかたちが続いていたが、嵐の出場は「Jr.黄金期」の世代が出演するようになったという点で歴史的な出来事でもあった。その後彼らは2010年には番組史上初となるグループでの司会、さらに2014年には初のトリを務めるなど、『紅白』における中心的存在になっていく。

 また繰り返し述べてきたように、SMAP以降歌手として以外に冠バラエティ番組を持つことが、ジャニーズグループにとってのひとつの“公式”のようになっていた。嵐も例外ではなく、2001年放送開始の深夜バラエティ『真夜中の嵐』(日本テレビ系)を皮切りにその道筋をたどっていくことになる。

 その後『ひみつの嵐ちゃん!』(TBSテレビ系、2008年放送開始)でプライムタイムに進出、現在は同じ時間帯に『VS嵐』(フジテレビ系、2008年放送開始)と『嵐にしやがれ』(日本テレビ系、2010年放送開始)の2本の冠バラエティ番組を持つ。前者はスタジオでゲストともにオリジナルゲームを楽しむ番組、後者はメンバーそれぞれのキャラクターや趣味を生かしたロケも含む企画性豊かな番組と色合いは異なるが、プライムタイムで2つの長寿冠番組を抱えている事実自体が、ジャニーズにおける嵐の特別なポジションを自ずと物語っていると言えるだろう。


筆者

太田省一

太田省一(おおた・しょういち) 社会学者

1960年、富山県生まれ。東京大学大学院社会学研究科博士課程単位取得満期退学。テレビ、アイドル、歌謡曲、お笑いなどメディア、ポピュラー文化の諸分野をテーマにしながら、戦後日本社会とメディアの関係に新たな光を当てるべく執筆活動を行っている。著書に『紅白歌合戦と日本人』、『アイドル進化論――南沙織から初音ミク、AKB48まで』(いずれも筑摩書房)、『社会は笑う・増補版――ボケとツッコミの人間関係』、『中居正広という生き方』(いずれも青弓社)、『SMAPと平成ニッポン――不安の時代のエンターテインメント 』(光文社新書)、『ジャニーズの正体――エンターテインメントの戦後史』(双葉社)など。最新刊に『ニッポン男性アイドル史――一九六〇-二〇一〇年代』(近刊、青弓社)

※プロフィールは原則として、論座に最後に執筆した当時のものです

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