2020年07月21日
TOKIO、V6、KinKi Kids、ジャニーズの群雄割拠時代へ
「ジャニーズ Jr.黄金期」の歴史的意味、そして嵐のデビュー
前回は、ジャニーズJr.がブーム的人気を博した「Jr.黄金期」とその歴史的意味、そしてそのなかで誕生した嵐のデビューの様子についてみた。今回は、その嵐が国民的アイドルとなっていくプロセスをたどり直したうえで、その人気の理由についてジャニーズの歴史という観点から改めて考えてみたい。
1999年のデビュー後も、嵐は活動の幅を広げるとともに人気を高め、国民的アイドルと呼ばれるようになっていく。
2000年にはファーストコンサートを開催、2007年にはデビュー前のお披露目の場でもあった東京ドームで単独初公演を実現する。また2008年には5大ドームツアー、さらにジャニーズとしてはSMAPに次いで2組目となる国立競技場でのコンサートを開催した。
このときの国立競技場での公演は、自身2度目となるアジアツアーの一環でもあった。台湾、韓国、中国などでの公演は、東アジア中心に海外でもジャニーズの人気が広がりつつあったことを示す。嵐はその代表としてのポジションにもあった。
そうして着々と実績を積み重ねていくなかで、2009年『NHK紅白歌合戦』に初出場。デビュー曲「A・RA・SHI」(1999年発売)、「Love so sweet」(2007年発売)をはじめとした4曲のスペシャルメドレーを披露した。
それまでジャニーズからはSMAPとTOKIOの2組のみの出場というかたちが続いていたが、嵐の出場は「Jr.黄金期」の世代が出演するようになったという点で歴史的な出来事でもあった。その後彼らは2010年には番組史上初となるグループでの司会、さらに2014年には初のトリを務めるなど、『紅白』における中心的存在になっていく。
また繰り返し述べてきたように、SMAP以降歌手として以外に冠バラエティ番組を持つことが、ジャニーズグループにとってのひとつの“公式”のようになっていた。嵐も例外ではなく、2001年放送開始の深夜バラエティ『真夜中の嵐』(日本テレビ系)を皮切りにその道筋をたどっていくことになる。
その後『ひみつの嵐ちゃん!』(TBSテレビ系、2008年放送開始)でプライムタイムに進出、現在は同じ時間帯に『VS嵐』(フジテレビ系、2008年放送開始)と『嵐にしやがれ』(日本テレビ系、2010年放送開始)の2本の冠バラエティ番組を持つ。前者はスタジオでゲストともにオリジナルゲームを楽しむ番組、後者はメンバーそれぞれのキャラクターや趣味を生かしたロケも含む企画性豊かな番組と色合いは異なるが、プライムタイムで2つの長寿冠番組を抱えている事実自体が、ジャニーズにおける嵐の特別なポジションを自ずと物語っていると言えるだろう。
一方で、各メンバーのソロ活動も盛んだった。
メンバー全員が連続ドラマで主演するなど、俳優としての活動は中心的なものである。なかでも二宮和也と松本潤に関しては、その比重が高い。
Jr.時代から舞台やドラマで経験を積んだ二宮和也は、嵐としてデビュー後にも映画『青の炎』(2003年公開)をはじめ多くの映画やドラマに主演し、日本アカデミー賞最優秀主演男優賞など数多くの賞を獲得している。またクリント・イーストウッドが監督した『硫黄島からの手紙』(2006年公開)での演技が国際的にも評価されるなど、その演技力には定評がある。
松本潤も同様に、
有料会員の方はログインページに進み、朝日新聞デジタルのIDとパスワードでログインしてください
一部の記事は有料会員以外の方もログインせずに全文を閲覧できます。
ご利用方法はアーカイブトップでご確認ください
朝日新聞デジタルの言論サイトRe:Ron(リロン)もご覧ください