権謀術数をいとわぬ現実政治家の思想や言葉をたどって見えてくるもの
2020年07月26日
アメリカの硬貨には、ラテン語で「E Pluribus Unum」(エ・プルリブス・ウヌム、多数からできた一つ)という言葉が刻まれている。アメリカの民主主義を象徴する標語だ。国是ともいうべきその原則が、移民を攻撃し、批判勢力を徹底的に敵視するトランプ大統領に揺るがされてもう3年半が経つ。この大統領が1期で終わるのか、それとも再選されるのか。今年11月の大統領選は、アメリカ史の岐路となるだろう。だが、たとえ民主党のバイデン氏が当選しても、保守とリベラルにここまで分裂した国が再びひとつになれるのだろうか。今回は150年以上前、文字通り国家社会の分裂に直面したリンカーンの演説からアメリカの行方を読み解きたい。
民主党のオバマ、共和党のマケイン両候補が争った2008年の大統領選で、「第2次南北戦争」(The Second Civil War)と言う言葉が流布された。Civil Warとは英語で内戦の意味だが、アメリカ史では奴隷制の存廃などをめぐって北部と南部がぶつかった南北戦争(1861~65年)を指す。保守とリベラル、共和党と民主党が激しく争うアメリカは、南北戦争以来の危機にあるという意味をこめて、「第2次南北戦争」と言う言葉が使われたのだ。
アメリカ政治を理解するために、ちょっとここで歴史を復習しておこう。
20世紀の半ば過ぎまで、二大政党である共和・民主両党は、ともに内部に多様な意見を抱えていた。両党の政策距離は大きくなかったので、問題ごとに党派を超えた妥協が可能だった。
ところが60年代以降、反戦運動やフェミニズム運動などが活発になると、保守の側では宗教右派が政治に介入し始めた。リベラルは民主党に、保守は共和党に集結するようになり、政治の両極化が進んだ。双方とも妥協を拒否して自らの路線を突っ走るようになった。
2009年に初の黒人大統領オバマが誕生したが、これは人種問題の終わりを意味しなかった。ホワイトラッシュと呼ばれた白人保守派の反動が強始まり、4年前には、ついに彼らが熱狂的に支持するトランプ氏が、キリスト教福音派の支持にも助けられ、ホワイトハウス入りを果たした。結局、「第2次南北戦争」はその後も続き、溝はさらに深く、広くなったのだ。
そしてこんどの11月の大統領選もまた、南北戦争の様相を帯びている。
最新のワシントン・ポスト紙の世論調査(7月21日)によると、バイデン氏の支持は55%でトランプ氏の40%を15㌽もリードする。このままバイデン氏が勝利すれば、アメリカ史の振り子は、ふたたびリベラルの側に振れるかもしれない。だが、アメリカ社会の深い亀裂の修復はできるのだろうか?
それは、南北戦争で北部に勝利をもたらした第16代大統領エイブラハム・リンカーンが直面した課題でもあった。
アメリカの首都ワシントンの中心部には、ナショナル・モールと呼ばれる東西3キロにわたる巨大な緑地帯がある。東端に連邦議事堂、ほぼ中心部にワシントン記念塔があり、ホワイトハウスもこの緑地帯にある。西端にあるのがリンカーン記念堂だ。
「人民の、人民による、人民のための政府を地上から絶滅させてはならない」というその結びは、あまりにも有名な言葉だ。ではもうひとつの演説(北側の壁)は何か。日本ではあまり知られていないが、アメリカではゲティスバーグ演説を超えるリンカーンのもっとも優れた演説と言われる第2次就任演説である。
1865年3月4日。リンカーンは、今日と同じように連邦議事堂前で2期目の大統領就任演説をおこなった。当時は現在のように大統領選翌年の1月ではなく、3月に大統領の任期がスタートした。その4年前に始まった南北戦争の流れはほぼ決し、北軍の勝利は目前だった。このとき、リンカーンが直面していたのは、南北両軍あわせて60万人が殺し合った戦争の後に、分裂した国民をどのようにまとめるかという巨大な課題だった。
曇天の日だった。リンカーンが演壇に進み出ると、急に雲が切れ、日の光が差し込んだと伝えられている。演説は英語原文で701語。ゆったりと活字を組んだ現行の岩波文庫版『リンカーン演説集』(高木八尺、斎藤光訳)でも、3ページ半に過ぎない短い演説だ。
「両者とも同じ聖書を読み、同じ神に祈り、そして各々敵に打ち勝つため、神の助力を求めています。……両者の祈りが双方ともききとどけられるということはありえませんでした。彼の祈りもわれの祈りもそのままにはききとどけられませんでした」
リンカーンは好んで神を語ったし、奴隷制を明確に非難もした。だが決して、神の意志が自分の側にあるとは言っていない。裁きは神に委ねた。リンカーンにとって、南北戦争は聖戦ではないのである。
何という違いだろうか。
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