集団感染は冷静に原因をさぐり、「他山の石」に
2020年07月26日
私が勤める「公益社団法人全国公立文化施設協会」(全国公文協、全国の公立ホールや劇場などを会員とする統括団体)は、2020年4月7日に発せられた緊急事態宣言で全面的に活動が止まっていた施設の再開に向けて、「劇場、音楽堂等における新型コロナウイルス感染拡大予防ガイドライン」(5月14日付け、25日一部改訂)を作った。これは、民間の小劇場で作る「小劇場協議会」などの団体にも広く参照され、活用されている。その作成にあたった一人として、公演の安全な実施を目指した指針作りを振り返り、今後の感染防止について考えてみたい。
集団感染が発生した「新宿シアターモリエール」は、新宿駅東口から徒歩4分ほどの複合ビルの中にある民間小劇場だ。1階の入り口から階段を上がると、2階に間口5間(約9メートル)の小ぶりなステージがある。定員は186席で、基本はフラットな床に椅子が置かれる。通りに面した壁面には縦型の窓が並ぶ。演劇関係者にはよく知られた劇場で、お笑いのライブや小劇団の公演でにぎわっていた。
この劇場で6月30日から7月5日まで上演されたライズコミュニケーション主催の公演『THE★JINRO―イケメン人狼アイドルは誰だ!!―』で、集団感染が発生した。濃厚接触者は約850人。7月15日までに、出演者17人、スタッフ8人、観客34人の合計59人(主催者発表)の感染が確認され、その後も増えている。遠方から訪れた観客もいて、感染者は全国各地に広がった。
感染が分かった直後に劇場と公演主催者はそれぞれ、小劇場協議会や全国公文協のガイドラインなどに沿った感染防止対策を講じていたと説明した。しかし、小劇場協議会は、劇場側への確認で「当協議会のガイドラインに従った感染防止策をご利用団体と協議していたものの、徹底・遵守していただけなかったこと」が判明したと、7月14日付けで発表した。出演者や観客への取材で、ガイドラインを守らない行動があったという報道もある。
こうした点について、全国公文協も主催会社に問い合わせをしているが、関係者が入院されていることもあり、詳細はまだ定かではない。
新型コロナウイルスの感染拡大で、政府は2月26日に「各種文化イベント開催に関する考え方」を発表。これを受けて、全国の公立文化施設、民間劇場での公演やイベントなどが相次いで中止された。さらに学校の全国一斉休校を経て、4月7日の緊急事態宣言により多くの業種が自粛に追い込まれた。
5月 25日の緊急事態宣言解除に先立つ5月14日、各業種・施設類型ごとに、関連団体において、その業態に即した、それぞれの感染症拡大予防ガイドラインが発表された。全国公文協も、連休中の5月5日に所管の文化庁を通じて連絡があり、休み明けの7日からガイドライン作りに取り掛かった。
当初から、13日には内容を確定させて、14日に公開するというスケジュールで、週末を除くと作業期間は実質5日しかない。だが、他業界のガイドラインが公開されるのに、舞台芸術関係のそれがないことだけは避けねばならない。
政府の「新型コロナウイルス感染症対策の基本的対処方針」(2020 年3月 28 日、5月4日変更)を踏まえ、専門家会議による「新型コロナウイルス感染症対策の状況分析・提言」(5月4日)に対応しながら、劇場や音楽堂などの施設や活動の特性から起こり得る感染発生の可能性などを想定して、政府が示した基本の感染防止ガイドライン案をカスタマイズ。関係団体や全国公文協理事などの意見を確認し、文化庁を通じて内閣官房コロナ対策推進室や政府の専門家会議メンバーからの助言を何度もいただきながら、遵守すべき事項を整理していった。
全国公文協の会員施設は全国に約1300館あり、複数の劇場や稽古場、会議室などを持つ大きな複合施設から、地域に根ざした小ホールまで、その規模は多様だ。活動内容も幅広く、地元の芸術団体の発表会やコンサートや演劇などの興行に場を提供する「貸し館」が中心の施設もあれば、独自に公演を企画・制作したり、他地域の館と連携してツアー公演を実施したり、海外との国際共同制作に取り組んだりしている施設もある。近年は、障がいのある人たちの文化活動を促進するなど、公演鑑賞だけでない役割も広がっている。
市町村などの直営、公益財団法人や民間企業、アートNPOによる指定管理など、運営の形態も様々だ。
こうした多種多様な施設すべてにあてはまる指針を作るのは、非常に難しい。
公演の内容も、出演者数人の小規模なものもあれば、スタッフだけで100人を超える大規模な催しもあるし、コンサートといってもクラシックとポップス系では客層も楽しみ方も違う。
ガイドラインには、それぞれに対応する感染防止策を書き込むことが求められ、網羅的にならざるを得なかった。
国は「イベントの開催制限」として、約3週間ごとに段階的に緩和することを想定し、最初のステップである5月25日からは、屋内では収容率50%以内、人数上限100人とした。独自にこれよりもさらに厳しい数字を示していた自治体もあった。
舞台芸術を「興行」として行う場合は、主にチケット収入によって、出演料やスタッフの人件費、舞台美術などの制作費や会場費などを賄う。会場の収容人数の80%程度の入場を見込んで予算立てするのが一般的で、50%以下では、公演を行えば行うほど、赤字がかさむことになる。一方で、多くの人を収容できるようにしても、舞台公演が安全であると観客に判断していただけなければ、集客はおぼつかない。
そうした諸要素を勘案し、ガイドラインでは「客席収容率」について、公演主催者に協力を求める具体的な対策として、【前後左右を空けた席配置、又は距離を置くことと同等の効果を有する措置】などを示した。
全国公文協のガイドラインは、全国の各施設が現場の実情に即して個別の指針を作る際の参考になる内容を目指したものだ。冒頭には【地域や施設の状況によって直ちに対応・導入することは難しい事項も含まれているかと思います。すべての項目の実施が活動再開の必須条件ではありませんが、基本となる感染予防策を実施した上で、より感染予防効果を高めるための推奨事項として、今後の取組の参考にしていただきたい】と記した。
しかし、5月14日に公表すると、全国組織が定めた「決まり」のように受け取られたり、さらに細かい目安を求めたりする反応もあった。施設の活動再開に不安を抱える担当者も多く、4~5日間は各地からの問い合わせの対応に追われた。
「全般に厳しすぎる」「実行困難な部分がある」というご意見もたくさん寄せられた。中でも「炎上」したのは、公演関係者について【表現上困難な場合を除き原則としてマスク着用を求める】との表記だった。「出演者も原則マスク着用」と報じた新聞やネットニュースもあり、その見出しだけを見て、「舞台上でもマスクか」というお叱りの声もあった。もちろん趣旨は、劇場の楽屋や控室、稽古中などではマスクを着け、上演している舞台上で【表現上困難な場合】はその限りではないのだが……。
取り上げた具体的な措置はどれも、接触感染と飛沫感染を防ぐのが目的である。施設の様々な場所の消毒、マスク着用、手指消毒、換気、人と人との距離など総合的な手段を講じてゆけば、一定の目的は果たせると考えている。
課題となっていた「客席の収容率」についても、「8月1日を目途として」の緩和が検討され、全国公文協を含めた業界団体と内閣官房コロナ対策推進室や専門家を交えた会議が持たれた。
この間、業界団体は、劇場の客席や舞台上で飛沫がどのように広がるか、また空調によってどのように空気が動くかなどを可視化する実験や、客席の間に仕切りを置くことなどの感染防止策の検討を進めた。再開に向けて、大手興行会社から制作会社、劇団、民間・公立劇場などが横断的に手を結んだ「緊急事態舞台芸術ネットワーク」が結成され、創造現場に向けたガイドラインの作成や具体的な感染防止策、支援事業などの情報共有が図られた。民間小劇場で作る「小劇場協議会」も活動を始め、舞台芸術界の自律的な感染防止への取り組みが進んでいった。
ガイドラインを超えた措置として、出演者やスタッフへの自主的なPCR検査の実施や、出演者が列車などで移動する際、指定席を2席分予約して隣席を空けるなどの配慮などを検討する主催者もいる。文化庁の助成金を活用して、検温のためのサーモカメラや十分な量の消毒液を備え、特別清掃や空調設備の改修などで、感染防止策を強化している劇場も多い。
当初、「イベント」をひとくくりにしていた国も、大半の演劇やダンス、クラシックのコンサートでは、観客は舞台に向かって黙って鑑賞するため、全ての観客がマスクを着用していれば、少なくとも上演中は観客同士の飛沫感染のリスクは限りなく低いことから、緩和の検討では、聴衆がスタンディングで唱和するような催しとの違いを考慮し始めていた。
「8月1日を目途として」制限が緩和されるのであれば、先々のチケット発売への対応があるため、7月中の早い時点で、緩和を見込んだガイドラインの更新も検討していた。だが、都市部を中心に感染が拡大していることから、結果的には制限緩和は8月末まで先送りされた。
同社はホームページに「多数の感染者が生じた原因につきまして、現在、当社スタッフ、関係者の方々から聴き取りを行い、保健所と情報を共有し、事実調査を行っております」「社会的な責任として、今後、来客や観覧を伴う他の各イベント等において今回と同様なことが起きないようにするため、今回の件に関する情報について、誹謗中傷防止及び個人情報保護に配慮しながら、できる限り積極的に情報等を公開させていただく」(7月15日付)と記している。
早期に、具体的な内容が発表されることを期待している。今やるべきは、関係者や感染者を責めることではなく、感染が広がった原因を具体的に探り、今後の感染防止策に反映することだ。
(※本稿公開後の7月27日に、同者はホームページに事実経過報告を掲載した)
全国公文協のガイドラインは、施設を利用する公演主催者側の感染防止策も示している。既に、様々な対策を共有している業界団体や組織もあるが、そうしたネットワークに参加していない主催者や個々のスタッフ、さらには観客にも理解を求めながら、より効果的な措置を盛り込んだガイドラインへの更新を検討したい。
例えば、劇場施設は、一定量以上の換気設備が法令により義務づけられている。しかし、民間の小劇場では設備は十分でも、公演期間中、その作動を管理する担当は、劇場側なのか、主催者側なのか、どのスタッフが担うのかといった責任の所在がまちまちなケースがあった。役割と分担を明確にして、そうした運用をはっきりさせることも、リスクを下げることにつながるだろう。また、観客も体調が悪ければ鑑賞を控えたり、「出待ち」をしないなど自制が求められる。
こうして小さな積み重ねを続けることで、劇場や音楽堂が安全に再開し、お客様に安心して公演に来ていただける環境を整えてゆきたいと考えている。全ての関係者の協力のもと「新しい生活様式」のなかでの劇場や舞台芸術のあり方を探ってゆきたい。感染した方々の回復と、新宿シアターモリエールを含め全ての劇場の再開が図られることを願っている。
(※本稿の意見や見解は筆者個人によるもので、全国公文協のものではありません)
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