2020年07月29日
『地球の歩き方』から『深夜特急』へ――旅のストーリーメーキング
沢木耕太郎『深夜特急』の「第1便 黄金宮殿」と「第2便 ペルシャの風」(共に1986)はベストセラーになった。紀行文学では、小田実の『何でも見てやろう』(1961)以来の成功であり、小田作品がそうであったように実際のフォロワーを生みだしたと言われる。
そうした現象の背景には、沢木が作品のあちこちに記した「自分発見」への憧れがあったという。すなわち「自分探しの旅」は『深夜特急』に始まるという言説である。
その通りかもしれない。そうかもしれないが、この本が実際の旅からかなり後に刊行されたという事情は何によるものなのだろう。「『深夜特急』の「文体」を見つけるまで、一〇年近い歳月が必要だったのである」という山口誠の解釈(『ニッポンの海外旅行――若者と観光メディアの50年史』、2010)を横目で睨みながら、私は1970年代半ばから80年代半ばまでに、「自分探し」という考え方がどのように世の中へ浮上してきたかを振り返ってみようと思う。
速水健朗によれば、「自分探し」という言葉が定着したのは1980年代末らしい(『自分探しが止まらない』、2008)。先駆けとしては、上野千鶴子の「<私>探し」の初出が1982年である(上野『<私>探しゲーム――欲望私民社会論』、1987)。ではその前段で「探したい自分」や「見つからない自分」という意味の一人称はいつ頃登場したのか。
異論はあるだろうが、ひとつの兆しは三田誠広の『僕って何』(1977、同年芥川賞受賞)だと思う。1968~69年当時の早稲田大学を舞台にした学生運動の渦中で、主人公は党派闘争と恋愛感情の間で揉まれ、なんとも腰が定まらない。挙句に実家からやってきた母親と同棲を始めた恋人(某セクトのメンバー)が鉢合わせするといったハプニングもある。異色の笑劇(ファース)と評価されてもいいが、私の回りでは誰もが(読まずに)けなした。
このような苛立ちに通じるのが、同時期に小此木啓吾が発表した「モラトリアム人間の時代」
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