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「自分探し」のプレッシャーの中で――自分を探したくない旅人たち

菊地史彦 ケイズワーク代表取締役、東京経済大学大学院(コミュニケーション研究科)講師

「自分探しの旅」の事情

 沢木耕太郎『深夜特急』の「第1便 黄金宮殿」と「第2便 ペルシャの風」(共に1986)はベストセラーになった。紀行文学では、小田実の『何でも見てやろう』(1961)以来の成功であり、小田作品がそうであったように実際のフォロワーを生みだしたと言われる。

 そうした現象の背景には、沢木が作品のあちこちに記した「自分発見」への憧れがあったという。すなわち「自分探しの旅」は『深夜特急』に始まるという言説である。

 その通りかもしれない。そうかもしれないが、この本が実際の旅からかなり後に刊行されたという事情は何によるものなのだろう。「『深夜特急』の「文体」を見つけるまで、一〇年近い歳月が必要だったのである」という山口誠の解釈(『ニッポンの海外旅行――若者と観光メディアの50年史』、2010)を横目で睨みながら、私は1970年代半ばから80年代半ばまでに、「自分探し」という考え方がどのように世の中へ浮上してきたかを振り返ってみようと思う。

「僕って何?」から始まった

 速水健朗によれば、「自分探し」という言葉が定着したのは1980年代末らしい(『自分探しが止まらない』、2008)。先駆けとしては、上野千鶴子の「<私>探し」の初出が1982年である(上野『<私>探しゲーム――欲望私民社会論』、1987)。ではその前段で「探したい自分」や「見つからない自分」という意味の一人称はいつ頃登場したのか。

 異論はあるだろうが、ひとつの兆しは三田誠広の『僕って何』(1977、同年芥川賞受賞)だと思う。1968~69年当時の早稲田大学を舞台にした学生運動の渦中で、主人公は党派闘争と恋愛感情の間で揉まれ、なんとも腰が定まらない。挙句に実家からやってきた母親と同棲を始めた恋人(某セクトのメンバー)が鉢合わせするといったハプニングもある。異色の笑劇(ファース)と評価されてもいいが、私の回りでは誰もが(読まずに)けなした。

川賞を受賞した版画家の池田満寿夫さん(右)と小説家の三田誠広さん 19778芥川賞を同時受賞した三田誠広(右)と画家の池田満寿夫=1977年8月

三田誠広著、1977年(河出文庫三田誠広『僕って何』(河出文庫)
 その原因は、ほぼ例外なく書名への反発だった。“僕って何?”という甘えた口語調の問いかけが、当時の小説読者をいたく刺激したからだ。ただ、批判する側には苛立ちと共にわずかな痛覚のようなものも含まれていたのではないか。たぶん彼らは“自分って何?”という問いかけに敏感に反応する自分に気づいていた。

 このような苛立ちに通じるのが、同時期に小此木啓吾が発表した「モラトリアム人間の時代」

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