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60年安保から60年 敗北の鎮魂歌を大往生させるために

【24】坂本九「上を向いて歩こう」

前田和男 翻訳家・ノンフィクション作家

 今回もまた、引き続き、60年安保闘争から60年にちなんだ戦後歌謡史上の歴史的事件の検証にお付き合いを願いたい。

 前回は西田佐知子の「アカシアの雨がやむとき」をとりあげたが、それ以外にも、もうひとつ、60年安保挫折への鎮魂とされる曲が――正確を期すと、同じ作詞家による〝一連の曲たち〟がある。

60年安保挫折の鎮魂歌

 その作詞家とは永六輔(1933〜2016)。手がけた一連の曲とは、「黒い花びら」(1959年7月、作曲・中村八大、歌・水原弘)「遠くへ行きたい」(1962年7月、作曲・中村八大、歌・ジェリー藤尾)「上を向いて歩こう」(1961年10月、作曲・中村八大、歌・坂本九)「見上げてごらん夜の星を」(1960年7月、作曲・いずみたく、歌・坂本九)である。それらの楽曲と60年安保との関わりについて、永自身はこう回顧している(『上を向いて歩こう 年をとると面白い』さくら舎、2012)。

 「「黒い花びら」というのは六〇年安保闘争真っ盛りのときです。樺美智子さんが亡くなったときです。あの警察の機動隊、そしてそれに群がるたくさんの暴力集団、そのなかで僕は現場にいました。テレビの仕事をもうすでに始めていまして、『夢であいましょう』の前だったのですが、当時日本テレビで放送されていた『光子の窓』の台本が、書けなくてというよりは、デモに参加してて、そのために『光子の窓』をやめることになります。そのときに僕は挫折していました。

 それが「遠くへ行きたい」につながっていく。どこかへ行っちゃいたい。遠くへ行っちゃいたい。同じように、涙がこぼれないように(「上を向いて歩こう」)、あるいは見上げてごらん夜の星を、もういい、ささやかな幸せがあればいい(「見上げてごらん夜の星を」)という思いがありました。」
歌:坂本九「上を向いて歩こう」
 作詞:永六輔、作曲:中村八大
時:1961年
場所:国会議事堂南通用門

安保反対デモと番組、どっちをとるか?

拡大左から坂本九、永六輔、中村八大=1962年1月

 これに補足説明を加えると、当時永六輔は30歳前、三木鶏郎の薫陶を受けて目下売出し中の放送作家だった。戦後テレビ草創期を担った日本テレビの伝説的プロデューサー井原高忠から、資生堂提供による本邦初の本格バラエティ番組「光子の窓」の構成作家に大抜擢されて異才を発揮。そのかたわら、大江健三郎、谷川俊太郎、寺山修司らの〝リベラル派〟だけでなく石原慎太郎、浅利慶太の〝右派〟とも語らって「若い日本の会」を結成、反安保の運動に積極的に関わる。

 度重なるデモ参加で番組に穴をあけそうになったため、井原から、「安保と番組とどっちが大事なんだ」と問われ、「安保です」と即答して、せっかくの仕事を棒にふるはめになった。なお、その後、永は「光子の窓」で培ったノウハウをひっさげて、NHK初の音楽バラエティ番組「夢であいましょう」の立ち上げにかかわり、戦後放送史に新時代を画すことになる。

 いっぽうで永は、中村八大といずみたくという気鋭の作曲家と組んで作詞家としても活躍、次々とヒット曲を世に送り出していた。作詞家としての本格デビューとなる「黒い花びら」は、発売の1959年に創設された日本レコード大賞を受賞、同年末の紅白歌合戦にも出場するという大ヒットを飛ばし、それにつづく「見上げてごらん夜の星を」「遠くへ行きたい」「上を向いて歩こう」もベストセラー、永六輔は大作詞家の地位を不動のものにしたかに見えた。

 しかし、前掲の永自身の回顧譚によれば、そこには、約束された前途を棒にふっても構わない強い思いが託されていたのである。

 すなわち、それぞれの曲の歌詞を援用すれば、安保条約の自然成立によって、その闘いはさながら「♪黒い花びら(となって)静かに散って」、深い挫折の中で「♪どこか遠くへ行きたい」のを、「♪涙がこぼれないよう」になんとかこらえて「♪上を向いて歩こう」と思いなおし、そしてこう言い聞かせて自らを励ます。「♪見上げてごらん夜の星を」、ほら「♪ささやかな幸せをうたっている」ではないか、と。

 そういわれてみれば、永六輔作詞のこの4曲は、さながら「60年安保組曲」のごとく見事にコンセプトがつながっている。ところが、ここにこめられたコンセプトと想いは世間には伝わらなかった。永の述懐はこう続く。

 「そんな思いでつくった歌だったのに、これがテレビを通じてヒットソングになっていきます。どんどん歌がはやります。はやると僕もちょっとずつ有名になってきます。有名になるだけでなくて収入も増えてきます。そうすると居心地が悪いんですね。

 違う、僕はそんなふうにあの歌をつくったんじゃなかったのに、どうしてそういうとらえられ方をするんだろう、ということがとても気になりはじめました。

 そこで、(中村八大といずみたくの)二人に「もう作詞するのはやめたい」ということを申し出ました。」

 実際、永六輔は、安保闘争敗北後NHKの「夢で逢いましょう」で、毎週、中村八大、坂本九と「六八九トリオ」を組んで、多くの歌をつくりつづけるが、数年で作詞はやめてしまう。

 だが永六輔の言説は、そこが「話芸の人」の魅力でもあるのだが、しばしば論理に飛躍があってはぐらかされる。世間から自分が詞にこめた想いとは違うとらえ方をされて、〝居心地が悪い〟からということで、はたして約束された大作詞家の前途を断つものだろうか。どうも私の胸にはストンとは落ちない。

 そこで、ここからは、永六輔の内奥に入り込んで、なぜそこまでの人生の英断に至ったのかを、この永六輔自身による回顧譚をもとに、検証してみたい。

 なお、取り上げる唄だが、一連の4曲すべてだと論点が拡散してしまうので、永自身が60年安保の敗北と挫折の唄としてしばしば言及している「上を向いて歩こう」に的を絞ることにする。

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筆者

前田和男

前田和男(まえだ・かずお) 翻訳家・ノンフィクション作家

1947年生まれ。東京大学農学部卒。翻訳家・ノンフィクション作家。著作に『選挙参謀』(太田出版)『民主党政権への伏流』(ポット出版)『男はなぜ化粧をしたがるのか』(集英社新書)『足元の革命』(新潮新書)、訳書にI・ベルイマン『ある結婚の風景』(ヘラルド出版)T・イーグルトン『悪とはなにか』(ビジネス社)など多数。路上観察学会事務局をつとめる。

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