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【ヅカナビ】星組公演『眩耀の谷 〜舞い降りた新星〜』

3つのセリフから作品のメッセージを読み解いてみる

中本千晶 演劇ジャーナリスト


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 いよいよ7月31日、約4カ月ぶりに東京宝塚劇場の幕が再び上がる。演目は星組公演『眩耀(げんよう)の谷 〜舞い降りた新星〜』『Ray -星の光線-』だ。星組新トップコンビ礼真琴・舞空瞳の東京でのお披露目公演となる。

 『眩耀の谷』は謝珠栄の作・演出・振付だ。謝珠栄氏といえば『激情』『黒い瞳』『凱旋門』(いずれも脚本は柴田侑宏)といった名作の演出・振付が印象深いが、宝塚歌劇で作・演出・振付をすべて手がけるのは初となる。2月に宝塚大劇場で一度観劇したが、謝珠栄氏らしい骨太なテーマで、物語が進むにつれぐいぐい引き込まれる作品だった。

 そして、心に響くセリフが多い作品でもある。そこで今回は、これからご覧になるチャンスが一度だけという人にも聞き逃して欲しくない3つのセリフに焦点を当ててみたい。そして、それらが語られる場面について改めて振り返ってみようと思う。

 取り上げるのは、丹礼真(礼真琴)、管武将軍(愛月ひかる)、そして謎の男(瀬央ゆりあ)がそれぞれ発する一言だ。もちろん、ここでは私自身が感じたことを書くけれども、これらのセリフから何を受け取るかは、人それぞれであっていいと思う。

「利」の国で「仁義」を通す管武将軍の苦悩

【管武将軍】
「国も人も動くのは 仁でもなく 義でもなく ただひとつ 利」

 物語の舞台は紀元前800年頃の中国、周の国だ。史実でも周王朝が徐々に弱体化していった時代だが、この物語でも国として末期的症状を呈しており、宣王(華形ひかる)の取り巻きにはろくな人材がいない。

 そんな中、唯一のまともな臣下である管武将軍(愛月)が、国の現状を憂えてつぶやく一言がこれだ。「じん」「ぎ」「り」は耳で聴くだけだと今ひとつ意味がわかりにくいが、それぞれ「仁」「義」「利」である。

 こう語る管武将軍なる人物は、いったいどのような価値観を持って生きている人なのだろう? 現実を知りながらもなお「仁」「義」に生きる人なのか? それとも、現実と器用に折り合いながら「利」で動く人なのか? いろいろな考えが浮かんでくる。演じ方によっても、また、見る人の受け止め方によっても全然変わってくるだろう。そんな管武将軍は、愛月さんにぴったりの演じ甲斐のある役どころだ。

 私は、管武将軍はどこまでも「国のため」「王のため」に生きる「仁」と「義」の人だと思っている。だが、同時にこの国の人々が今や「利」でしか動かないことも知り抜いている。腐り果てたこの国の中で、なおも「仁」と「義」を貫き通すためにいかに振る舞うべきか、熟慮を重ねて慎重に行動する人だ。

 少し違うかもしれないが、この人物から思い出されるのが歌舞伎や文楽によく出てくるタイプの武将だ。心の奥底には家族への情愛を秘めつつ、あくまで忠義のために生きる道を選び、そのためには内なる情愛を封印することも厭わない。管武将軍もまた、そんな「腹芸」が求められる役どころだと思う。この作品では管武将軍のその後は謎のままだが、思わずスピンアウト版の物語を考えたくなった。

 さて「この国の果てに『眩耀の谷』と呼ばれる黄金でできた谷があるらしい」との噂に目がくらんだ宣王は、かの地を守る汶(ブン)族を打ち果たし、谷の黄金を手に入れてくるよう管武将軍に命じる。

 そして、将軍を敬愛する若き丹礼真(礼)も、何の疑いも持たずに汶族の討伐に向かうのである。このときの礼真は爽やかな好青年だが、周の国の実態は恐ろしいほどに見えていない。

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筆者

中本千晶

中本千晶(なかもと・ちあき) 演劇ジャーナリスト

山口県出身。東京大学法学部卒業後、株式会社リクルート勤務を経て独立。ミュージカル・2.5次元から古典芸能まで広く目を向け、舞台芸術の「今」をウォッチ。とくに宝塚歌劇に深い関心を寄せ、独自の視点で分析し続けている。主著に『タカラヅカの解剖図館』(エクスナレッジ )、『なぜ宝塚歌劇の男役はカッコイイのか』『宝塚歌劇に誘(いざな)う7つの扉』(東京堂出版)、『鉄道会社がつくった「タカラヅカ」という奇跡』(ポプラ新書)など。早稲田大学非常勤講師、NHK文化センター講師。

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