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もし弘田三枝子がいなければ、戦後ポップスはひどくつまらなかっただろう

菊地史彦 ケイズワーク代表取締役、東京経済大学大学院(コミュニケーション研究科)講師

カヴァーポップスの時代

母よし子さん、姉の和子さんと) 19621拡大デビュー翌年、母よし子さん(後ろ)、姉の和子さんと=1962年1月
 弘田に曲を渡す東芝音楽工業のディレクター草野浩二は、ピアノを弾きながら、日本語歌詞の譜割りを指示したようだが、相手の少女は、「あとは勝手に自分で、アクセントをつけて」(前掲書)歌ってしまう。恐らく他の老舗レコード会社では考えられない鷹揚さの中で、彼女の歌のオリジナリティーは拡がっていった。新参の東芝は、他社の厳しい専属契約制から逃れるため、縛りの少ない洋楽に道を見いだしていたから、新人歌手のアイデアでも貪欲に取り込んでいたのかもしれない。

 前年に早稲田大学から入社したばかりの草野ディレクターの「身内」も大いに貢献した。

 浩二の兄、草野昌一は、『ミュージック・ライフ』を創刊して、人気雑誌に押し上げた辣腕編集長であり、坂本九を東芝からデビューさせるなど、コーディネーターとしても実績を上げ始めていた。その上、新進の訳詞者としても活躍し始めたところだった。

漣健児1998拡大漣健児=1998年
 九の「ステキなタイミング」の訳詞を振り出しに、「ルイジアナ・ママ」「ヴァケーション」「可愛いいベビー」など450余のカヴァーポップスを送り出した漣健児(さざなみけんじ)である。もちろん、弘田の「子供ぢゃないの」も「悲しき片想い」も漣の訳詞だった。
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筆者

菊地史彦

菊地史彦(きくち・ふみひこ) ケイズワーク代表取締役、東京経済大学大学院(コミュニケーション研究科)講師

1952年、東京生まれ。76年、慶應義塾大学文学部卒業。同年、筑摩書房入社。89年、同社を退社。編集工学研究所などを経て、99年、ケイズワークを設立。企業の組織・コミュニケーション課題などのコンサルティングを行なうとともに、戦後史を中心に、<社会意識>の変容を考察している。現在、株式会社ケイズワーク代表取締役、東京経済大学大学院(コミュニケーション研究科)講師、国際大学グローバル・コミュニケーションセンター客員研究員。著書に『「若者」の時代』(トランスビュー、2015)、『「幸せ」の戦後史』(トランスビュー、2013)など。

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