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つかこうへい的「恥」へのこだわり

「真っ当ではない生き方」の矜持

長谷川康夫 演出家・脚本家

「警官1」じゃない。「富樫幸介」だ

拡大つかこうへい(1948~2010)=1987年撮影
 この連載を始めてから、自分がつかこうへいから教わったものはいったい何だったか、などと大層なことを、とかく考えるようになってしまっている。

 もうこの齢でもあるし、今さらそんなものをあらためて確認したところで、これからの自分に何か役立つとは思えないのだが、かつての『劇団つかこうへい事務所』の仲間たちの中で、かろうじてつかに近い仕事をしているのは僕だけなのだからとの、分不相応な気負いが、ついそれをさせてしまうのだ。

 まず第一に、舞台に登場する俳優たちには決して「その他大勢」を作らず、それぞれに必ず見せ場を作るという、前回書いたつかの信念は、僕も芝居の作り手として、ずっと見習ってきたつもりだ。むしろ役者という立場を経験している分だけ、その思いは本家より強いかもしれない。

 しかし出演者たちの人数も限られ、すべて自分だけの責任で完結できる舞台作品ならそれが出来ても、映画などの脚本の仕事となるとそうはいかない。どうしたって、その場面に配置されるだけの小さな役というものが山ほど出てくる。

 「了解」と発して走り去る警官とか、「何にいたしましょう」とメニューを持って来る喫茶店のウエイトレスとか、「どちらまで」と行先を訊ねるタクシー運転手とか――。

 そんなときどうするか。

 出来る限り、彼らにフルネームの役名を付けるというのが、僕の中での決め事である。たとえたったひと言の台詞でも、そのカギカッコの上に記されるのは「警官」「店員」「運転手」ではなく、例えば「富樫幸介」や「井上美佐」「原嶋隆三」であり、台本の頭にある配役表にはそういった役名の下に、キャスティングされた俳優それぞれの名が、しっかり並ぶことになるのだ。

 それに何の意味があるのかと訊かれても、ただ演ずる側の気持ちが、「警官1」と「富樫幸介」ではまるで違うのだとしか答えようがない。三十数年前にその立場だった人間にはそれがわかるがゆえに、作品によっては幾十もの役名をひねり出すという、決して容易くはない作業を毎度、己に課すのである。どんな小さな役であっても、それを演じてくれる者への、脚本家としての責任であると、自分に言い聞かせながら。

 そんなものは自己満足に過ぎず、作品にとって何か有効性を持つのかと言われれば、その通りだ。ただそう決めてしまったのだと、開き直るしかない。

 いや、そんなこだわりを意味なく貫き、それを自らの美学とする姿勢こそが、あの頃のつかこうへいから、僕が何より学んだものなのだ。

 実はその上さらに、そんな自分を可愛いと思える力が必要なのだが、さすがにそこまでは、とてもつかこうへいのマネは出来ていないことも、白状しておく。

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筆者

長谷川康夫

長谷川康夫(はせがわ・やすお) 演出家・脚本家

1953年生まれ。早稲田大学在学中、劇団「暫」でつかこうへいと出会い、『いつも心に太陽を』『広島に原爆を落とす日』などのつか作品に出演する。「劇団つかこうへい事務所」解散後は、劇作家、演出家として活動。92年以降は仕事の中心を映画に移し、『亡国のイージス』(2005年)で日本アカデミー賞優秀脚本賞。近作に『起終点駅 ターミナル』(15年、脚本)、『あの頃、君を追いかけた』(18年、監督)、『空母いぶき』(19年、脚本)などがある。つかの評伝『つかこうへい正伝1968-1982』(15年、新潮社)で講談社ノンフィクション賞、新田次郎文学賞、AICT演劇評論賞を受賞した。20年6月に文庫化。

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