国立アイヌ民族博物館の歴史展示に、「差別」「偏見」「貧困」の文字はほとんどない
2020年08月12日
前回、アイヌに関わる「民族共生象徴空間」(以下便宜的に「公園」と略す。愛称ウポポイはアイヌ語で「(大勢で)歌い合う」という意味だという)に併設された慰霊施設に関する問題点を論じた。
これと並んで問われるべきは、公園の中核施設である「国立アイヌ民族博物館」(以下「博物館」)の展示である。それは6つの分野に分けられている(後述)。いずれも興味深いが、問題が多いのは「歴史」分野である。
そもそも展示はどのように決められたのであろうか。
「一番大事にしたのは、アイヌ民族が展示をつくっていくという原則」だったと、館長(和人)は述べている(朝日新聞2020年7月11日付北海道版)。それを担保するのは、展示方法を決める作業部会の「半数近くが北海道各地のアイヌの人々」である点のようである。だが「歴史」展示に特化した時、この言い分はなりたつのか。
歴史展示に関係したのは4人(1人は他の分野と併任)であるが、「北海道博物館学芸員」、「北海道博物館アイヌ民族文化研究センター長」、「北大文学部准教授」、「小平(おびら)町教育委員会社会教育課文化係長」のうちに、アイヌが何人いるのであろうか。
しかもたった4人で、アイヌの全歴史を責任をもって記述できるのであろうか。問題はやはり「明治」以降の歴史だが、これに専門的に関わりえたのは、せいぜい1人か2人であろう。もちろん作業部会の案は上位の「展示検討委員会」で検討されたのであろうが、同委員7人中アイヌ出身者は、私が調べた限り1人にすぎない。
「国立アイヌ民族博物館」を含む公園の運営者たる「アイヌ民族文化財団」に対しては、日本政府のにらみがきいている。同公園の「運営本部長」である代表理事・副理事長は、元「内閣官房アイヌ総合政策室北海道分室室長」である。副理事長として他に「北海道アイヌ協会常務理事」等も含まれるが、理事20人のうちアイヌは結局6人ていどに限られるようである。
私には、「歴史」展示にアイヌの意思が生かされたとは思われない。いやむしろ和人政府(日本政府)の思惑が、かなり反映したのではないか。作業部会等の構成という形式論からだけではなく、展示からもそう判断される。
文化は多面的である。博物館では、「私たちのことば」、「私たちの世界」(アイヌの世界とカムイの世界との交流/筆者注)、「私たちのくらし」、「私たちの歴史」、「私たちのしごと」、「私たちの交流」の6分野に、会場中央に設けられた入門的な展示物を含めると7か所に、分けて展示されている。
展示内容が多岐にわたる結果、和人政府による「同化政策」等の負の歴史についての記述は、広範な展示の海に埋没してしまっている。歴史関係展示は、面積的に見て上記6区分(7区分)全展示の10分の1以下、近現代のそれは20分の1以下であろう。
確かに歴史展示において、同化政策に関する最低限の言及はなされている。だがそれは文字どおり最低限にすぎない。そこでは、アイヌに対する「差別」にも「偏見」にも、アイヌが陥った「貧困」にも、ほとんどあるいは全くふれられない。萩生田光一文科相が、開園前にアイヌ差別の歴史について問われ、アイヌと開拓民(本来問われるべきは和人政府である)との間に価値観の違いがあったが、それを「差別という言葉」で語ることに疑問があると述べた(朝日新聞2020年7月11日付)。政府関係者のこうした意向が展示に反映していると思わずにはいられない。
他に「同化」は確か1、2か所に見られ、「殖民地」も1カ所で見たが、同化・植民地化政策の生々しい実態はほとんど見えてこない。
要するに博物館の展示からは、なぜ「民族共生象徴空間」が
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