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赤木雅子さんとともに『私(たち)は真実が知りたい』

大槻慎二 編集者、田畑書店社主

 近畿財務局職員・赤木俊夫さんの自死事件の再調査を求める署名活動に応じた35万人のうちの1人として、激しい憤りをもって赤木雅子+相澤冬樹『私は真実が知りたい――夫が遺書で告発「森友」改ざんはなぜ?』を読んだ。

赤木雅子+相澤冬樹『私は真実が知りたい――夫が遺書で告発「森友」改ざんはなぜ?』(文藝春秋)赤木雅子+相澤冬樹『私は真実が知りたい――夫が遺書で告発 「森友」改ざんはなぜ?』(文藝春秋)
 ただし、「憤る」という感情は書評に馴染まないので、これはその類いの文章ではない。ある私的な感想に過ぎないことをご承知おきいただきたい。

 まず、「私的」な最たるものとして、私は赤木俊夫さんに世代的な親近感を覚えた。赤木さんは1963年生まれで、私の二つ下である(ちなみに相澤記者も1962年生まれで、ほぼ同年である)。

 だから、過ごしてきた時代がよくわかる。赤木さんがYMOを聴いて以来の坂本龍一の大ファンであること。近畿財務局の社内報に寄せた「坂本龍一探究序説」というやや衒学的な文章。安藤忠雄が好きで、休日になれば雅子さんを連れて安藤建築を見て回っていたこと。ファッションに並々ならぬ興味があり、三宮などに洋服を買いに行っていたこと……趣味趣向に多少の違いはあるにせよ、文化的背景がわかりすぎるくらいよくわかる。

 家庭の経済事情で大学進学を諦めて国鉄に入った赤木さんは、働きながら立命館大学の夜間コースに通い、念願の夢を果たした。向学心の強いがんばり屋だったのだ。

 1987年、国鉄の民営化。「JR」という呼称に抱いた違和感が、いまとなっては懐かしい。多くの職員がリストラされたなか、優秀だった赤木さんは公務員に登用される。そして1995年の阪神淡路大震災……同じ年ごろに同じ出来事を共有しているということは、その人を理解する上で極めて重要である。なぜなら〈いま〉を見る目も、ほぼ同じだろうと思うから。

 だからなおさら、自ら命を断つ決断を下した瞬間が、特別なリアリティをもって迫ってくる。

 また、同じ時期に同じライフサイクルを経てきた者として、赤木さんの幸福な家庭にある種の羨望を覚えざるを得ない。32歳で結婚。妻の雅子さんは8つ年下で、「私の趣味はトッちゃん」と言い切る。どんなに仲のいいカップルでも、自分の配偶者が「趣味」だと躊躇なく言える人は、なかなかいないのではなかろうか。

 加えて俊夫さんのもっとも「仲良し」が雅子さんのお母さんであり、義理のお兄さんとも気が合って、甥っ子たちには無類に好かれている……これらのことすべてが、どれだけ「あり得ないほどの幸福」であるかは、ある程度の人生経験を積んだ方であれば、きっとお分かりいただけるだろう。

第1回口頭弁論を終え、赤木俊夫さんが大切にしていたという国家公務員倫理カードの内容を読み上げる妻の雅子さん=2020年7月15日第1回口頭弁論を終え、赤木俊夫さんが大切にしていたという国家公務員倫理カードの内容を読み上げる妻の雅子さん=2020年7月15日

 そして何よりも素晴らしいのは、俊夫さんの職業観である。公務員である自分の雇い主は「日本国民」だというのが口癖だったらしい。何というストレートな豪速球を投げる人だろう。おそらく身近にこういう人がいたら、間違いなく、もっとも幸せになって欲しい、もっとも幸せに天寿を全うして欲しい人のひとりに違いない。

 だからなおさら、このような最期が痛ましい。

 そして、だからなおさらに知りたいのである。いったいどんな歪(いびつ)な力が働いて、こんないい人を自死に至るまで追い詰めたのか。

居酒屋があんなにウルサイ理由

 話は変わるが、会社を辞めて10年になる。あらゆる「組織」を離れて10年も経つと、そのなかにいる人の「実感」からはかなり離れてしまっているかもしれない。それを承知でいうのだが、近ごろわからないことがある。それは、居酒屋にいるサラリーマンの集団は、何であんなにウルサイのだろうか、ということである。それも例外なく、である。

Kento35shutterstockKento35/Shutterstock.com

 われもわれもと大声を張り上げてしゃべる。引き攣(つ)ったような笑い声。内容はといえば、聞いていて恥ずかしくなるようなレベルの会話である。そしてひと目で、そこにいるいちばんエラい人は誰かが分かる。男だけの集団かというと、そうでもない。女性も負けてはいない。嬌声というか、これも尋常ならぬ高い声で笑い転げている。こちらはカウンターでひとりで飲むか、せいぜい2、3人、多くて数人の酒席である。耳をつんざくような騒音に顔を顰(しか)めながら、顔を寄せ合ってボソボソとしゃべるほかない。

 およそ四半世紀も勤め人をやってきた身としては、しみじみ知っている。仕事を終えて、気の置けない職場の同僚と一杯やることの楽しみを。美味くて安い店を探し、そこでしこたま飲む快感を。上司の悪口を言い合って、時には羽目を外すこともある。正体がなくなるまで飲み潰れることだってある。

 しかし、いま居酒屋にいる彼ら彼女らは、そういう飲み方とちょっと違うのだ。酒飲みだからこそ分かるのだが、

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