玉川奈々福(たまがわ・ななふく) 浪曲師
横浜市生まれ。出版社の編集者だった94年、たまたま新聞で浪曲教室のお知らせを見て、三味線を習い始め、翌年、玉川福太郎に入門。01年に曲師から浪曲師に転じ、06年、玉川奈々福の名披露目をする。04年に師匠である福太郎の「徹底天保水滸伝」連続公演をプロデュースして大成功させて以来、数々の公演を企画し、浪曲の魅力を広めてきた。
※プロフィールは原則として、論座に最後に執筆した当時のものです
ライブ配信奮闘記(下)
新型コロナのために実演の場を失い、鬱々としていた奈々福さん。浪曲特有の声の波動や圧を伝えるのが難しいと、「配信」には乗り気でなかったが、以前ラジオ配信をいっしょにやった「海ちゃん」、イベント仕掛け人のTAKEさん、映像作家の田島空さんの助言や、いとうせいこうさんからの配信フェスへの誘いを受けて、YouTube「奈々福チャンネル」で活動を始めました。「うなる!語る!ソウルフル!玉川奈々福のほとばしる浪花節」、奮闘記の後編です。(前編はこちら)
「浪曲の配信、やりまーす!」
と、突然言い出した奈々福に、空・海・竹のお三方、それぞれ、大いに慌てたことと思います。いとうさんに配信しますと言って、勝手に日程も決めていた。第1回が5月17日、第2回5月24日、第3回5月30日……ひどいね。いきなり3回連続配信を決めていた。しかも決めた日から、最初の配信の日まで、1週間しかない!!!
さて、相談だ。
いままでばらばらに相談していた三人に、チームになってもらうことにしました。
TAKEさんは、動画配信の実績あり。とはいえ、浪曲の配信の経験はありません。田島さんは映像作家だから、数々記録動画を作ってこられましたが、配信は初めて。なぜかネットに異常に詳しい海ちゃんも、もちろん経験なし。
全員、浪曲配信未経験のチーム奈々福、発足。
まず。
収録してから配信するか。ライブ配信にするか。
どういう態勢をつくるか。
資金面はどうするか。
私はライブ配信にしたかった。場所は共有できなくても、お客さんと、時間を共有する、あくまでも「ライブ」でやりたかった。
わかりましたと、配信態勢を請け負ってくれたのはTAKEさんです。どこから配信するか、場所を決め、さまざまな環境を確認し、機材を考え始めた。
落語と、浪曲の配信はちょっと違います。
落語は、カメラひとつでも可能。一人の人間が座布団の上で座って演じる芸だから。
浪曲は、立って演じる上に、三味線がいます。
それを全部画面に収めるとなると、とても引いた画面になる。
となると、スマホで見ている人などには、演者の表情などが見えにくくなる。
カメラ1台ではだめ。最低2台必要。その上で、どう映すか、台本をにらんで綿密な打ち合わせが必要になります。
田島さんは、それまでも数々浪曲の舞台を収録してくれて、多い時にはカメラ4台用意してくれていた人ですから、そこらへんは心得たもの。TAKEさんと田島さんが、私にはまったくわからないテクニカルタームで、相談を始めました。
さて、大事な資金面はどうするか……これについては目論見が立たない。
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