林瑞絵(はやし・みずえ) フリーライター、映画ジャーナリスト
フリーライター、映画ジャーナリスト。1972年、札幌市生まれ。大学卒業後、映画宣伝業を経て渡仏。現在はパリに在住し、映画、子育て、旅行、フランスの文化・社会一般について執筆する。著書に『フランス映画どこへ行く――ヌーヴェル・ヴァーグから遠く離れて』(花伝社/「キネマ旬報映画本大賞2011」で第7位)、『パリの子育て・親育て』(花伝社)がある。
※プロフィールは原則として、論座に最後に執筆した当時のものです
コロナ禍で苦戦するフランスの映画館(上)――上映再開はしたけれど
前稿では、映画館が再開したものの、客足が3分の1となったフランスの状況を見てきた。コロナへの潜在的な不安に加え、ブロックバスター(超大作)のアメリカ映画が延期されたため、年に数回、劇場に足を運ぶくらいのライトな映画ファンが消えてしまったことが大きいのだ。
そしてブロックバスターのアメリカ映画を穴埋めするように、映画館ではフランス映画やインディペンデントの外国映画がスクリーンを多く占めるようになった。
この中で大きな期待を背負って公開されたフランス映画がある。7月14日に劇場公開されたフランソワ・オゾン監督の長編19作目となる青春映画『Summer of 85』だ。
毎年5月に開催されている世界最大の映画祭、カンヌ映画祭は今年、コロナ禍のため通常の形での開催は断念した。その代わりに6月初頭の記者会見で、2020年の公式セレクションを発表。これは世界147カ国・2067作品から選んだ56本に、カンヌお墨付きのラベル「カンヌ2020」を付与するというもの。
選ばれた作品は、劇場公開時や他の映画祭の上映時に、このラベルを背負って登場する。とりわけ劇場公開時には、ある種の品質表示の役目を果たし、観客を劇場に足を運ばせる呼び水になることを狙っている。格付けしてカンヌ・ブランドをひけらかすということではなく、コロナ禍で深刻なダメージを受ける映画館に寄り添うための、切実で現実的な対策と言ってよい。
『Summer of 85』はオゾン監督の個性をしっかり感じさせる作家映画だ。アメリカ映画に比べてしまうと地味に見えるだろうが、一般の映画ファンに広くアピールできるテーマを持つ上質な青春映画で、10代の少年のひと夏の恋愛と成長を描く。少年二人の出会いが描かれるが、主人公がゲイのアイデンティティに苦悩する訳ではない。あくまで同性愛は背景のひとつに過ぎないという描き方も自然で、好感が持てる。フランス映画の底力をアピールするのに、うってつけの作品だ。
カンヌ映画祭のティエリー・フレモー総代表も、記者会見時に、「『Summer of 85』は映画館に人々を戻らせるのに完璧な作品」と紹介。それほどにカンヌも期待をかけていた。
ところが興行成績は思ったほど伸びていない。批評家受けも大変良く、スタートダッシュこそ良かったものの公開2週目で失速、約2週間で21万人の動員である。本来なら、その2~3倍以上の観客は集められただろう。ちなみにオゾン監督の前作『グレース・オブ・ゴッド 告発の時』は、実在の神父による児童への性的虐待事件という重い題材を扱いながら95万人のヒットを記録している。オゾンはジャック・オディアールなどと並んで、数少ない「観客を呼べるフランスの映画作家」であるだけにもったいない。
他にも普段なら大ヒットしてフランスの国民的コメディになるはずだった、ジャン=パスカル・ザディとジョン・ワックスの共同監督作品『Tout Simplement Noir(全く単純に黒人)』の公開があった。本作はポスターから醸し出す圧倒的な駄作感とは裏腹に、意外と言ったら失礼だが、かなり出来が良い。フランス初となる黒人の権利を主張する抗議デモを画策する、行き当たりばったりで能天気な売れない黒人俳優が主人公のドラマだ。ちょうどアメリカで勃発した「ブラック・ライブズ・マター(黒人の命は大切)」運動を思い出さずにいられない内容であり、急速に注目度が高まった。
こちらはコロナ禍では大健闘しているものの、公開3週間で観客数は52万人。本来ならあっという間に100万人を超えるタイプの作品である。「『Summer of 85』でも『Tout Simplement Noir』でも冴えない結果しか出せないなら、どうあがいてもダメだよ……」と、映画関係者が思ってしまうのも無理のない状況なのだ。