直木賞作家・安部龍太郎さんがライフワークの『家康』で描きたいこと
2020年08月31日
神君として崇められた姿でも、狡猾なタヌキ親爺でもない「人間味あふれた、新たな家康像」を描きたい…。歴史小説の大家で直木賞作家の安部龍太郎さん(65)が、ライフワークの『家康』(幻冬舎刊)に取り組んでいる。構想では、文庫本で全18巻となる大作だ。
凡人だけど、人の意見によく耳を傾け、人間的成長を重ねて行く家康。信長、秀吉とは違った「農本主義・地方分権」の国家を目指し、250年の太平に結び付けた天下人。安部さんは、貧富の差や地方との格差が広がるばかりの今の日本社会こそ「家康に学ぶべき」と訴える。
古代から明治維新まで、あらゆる時代の歴史小説を書いてきた安部さんだが、とりわけ「戦国時代」には思いが強い。これまでの定説や学校で教えられる歴史観に違和感を覚えているからだ。
「一番の不満は『外国からの視点』に欠けていることです。〝鎖国史観〟で戦国時代を見ていては、この時代の変化を理解することはできません。キーワードは、大航海時代における、鉄砲・キリスト教・銀の三つ。これを制した戦国大名が勝ち上がり、天下をうかがうようになってゆくのです」
安部さんが『家康』を書くのも、その新たな歴史観を示したいことが大きな理由だ。
徳川家康(1543~1616年)は、戦国期から江戸時代初期まで生き抜き、戦(いくさ)ならば、桶狭間の戦い(1560年)から、大坂夏の陣(1615年)まで、ほとんどに関わってきた稀有な大名である。先の三つのキーワードを制して、天下統一に近づいた信長や、その跡を継いだ秀吉に従いつつ、2人とは違う国家観を示し、江戸時代の幕藩体制を築いたのが家康だった。
「信長と秀吉が掲げたのは、ポルトガルやスペインなど外国勢力に対抗できる力を持った、『中央集権・重商主義』の国家でした。これに対して、家康は、多くの民が食べていける、格差の少ない『地方分権・農本主義』の日本を目指します。これによって『パクス・トクガワーナ(徳川による平和)』と言うべき、長く安定した太平の世を築きました。家康を描けば、この時代の『本当の姿』が分かるでしょう」
これまでの家康像といえば、神様(神君)として、崇め奉られたた江戸時代の姿。あるいは、権謀術数を駆使して豊臣家を滅亡に追い込んだ「天下の簒奪者」のイメージだろう。
「どちらもバイアスがかかっている。特に後者は、江戸幕府を否定したい明治政府が、わざと“作りあげた”ものですよ。僕は『タヌキ親爺史観』と呼んでいますが、そのイメージを覆したい。天才の信長や頭がものすごく切れる秀吉に比べると、家康は『凡人』です。幼いころは織田、今川で人質生活を余儀なくされ、家族との縁も薄かった。辛酸を舐めながら、螺旋階段を上るように少しずつ人間的成長を重ね、ついには政治的にも名人になったのです」
安部さんが描く家康は、なかなか人間臭い。生き馬の目を抜く戦国時代にあって、非情に徹しきれない男。何度も騙され、裏切られ、叩きのめされる。幼時に生き別れた母親(於大)に冷たくあしらわれながらも、ぐっと耐えて関係を切ることはない。家臣団には〝言いたい放題〟を許し、意見具申はしっかりと耳を傾ける。それは一度、敵側に寝返った家臣でさえも、だ。現代のサラリーマン社会に置き換えれば、まさに「理想の上司」だろう。
「家康は、みんな(家臣)に自由に意見を言わせて、その中から正しい意見を取る。そして、いったん決断したら変えない。家臣団にとっても、『自分たちがしっかり支えないとあの人(家康)はダメだ』という雰囲気があった。主従の結束は極めて固かったと思いますね。家康が掲げた、理想の世の中は『厭離穢土(おんりえど)、欣求浄土(ごんぐじょうど)』。それは、人間の最大の欠点である『敵意とエゴイズム』を排除した社会でした」
10代後半で作家を志したが、デビューまでの道のりは遠かった。福岡県から上京し、区役所に8年間勤務。家族に「2年間だけ(小説に)挑戦させてほしい」と頼み込み、29歳で役所を辞めたが、結局、4年間も無収入を余儀なくされた。
やっと新聞連載のチャンスをつかんだものの、行き詰まって「もう明日の分の原稿がない」と、ギリギリまで追い込まれて夢遊病者のように線路脇をさまよったことも。手応えらしきものを感じることができたのは、信長や家康と同時代を生きた絵師、長谷川等伯の波乱の生涯を描いた『等伯』(2012年)で、翌年の直木賞に輝いたときだった。57歳になっていた。
「この作品でダメだったら、もう作家を辞めようと思っていました。書いている途中に東日本大震災(2011年)が起きて被災地の悲惨な状況を目の当たりにして、僕が小説を書く意味を改めて考えたのです。どんなに辛い目に遭っても人間には希望がある、生きていく意味がある、ということを読んだ人に感じてもらいたい。そんな作品にしないと、書く意味がないと思いましたね。それから(連載中だった『等伯』の)内容も随分、変わりました」
いま世界は、新型コロナウイルの感染拡大を止められず、人々は苦しみの中にいる。社会や生活様式は一変。安部さんも次回作のために予定していた海外取材がすべて中止になってしまった。
「新型コロナ禍が起きたのも僕は、人間が持つエゴイズムと敵意の発露の結果ではないか? という気がしています。つまり、踏み込んではならない所まで人間が入り込んで環境破壊などが進み、〝パンドラの箱〟を開けてしまったのではないのか…と。これから文学も変って行かざるを得ないと思います。目の前に悲惨な現実があるのに、悪や恐怖は書きにくいでしょう。こういう時こそ、人間の良さや希望、問題突破力が求められる。文学にはその力があると、僕は信じています」
歴史小説を書き続ける意味は、「過去から学ぶ」ことだと考えている。それは時にして、現状の課題を解決し、未来への発想力にも繋がってゆく。
安部さんは、家康が掲げた「農本主義・地方分権」は、先の大戦の敗戦から日本が立ち上がった戦後復興に似ているという。
「秀吉の無謀な朝鮮出兵によって、日本の社会は疲弊し、農村は荒廃しました。家康は、そこから日本が立ち直り、安定させることを考えねばならなかった。その答えが『農本主義・地方分権』です。関ケ原の戦い(1600年)は、重商主義(西軍)と農本主義(東軍)の戦いでした」
では、現在の日本社会が家康に学ぶべき点は何か?
安部さんは「城下町」の発想を挙げた。家康が築いた幕藩体制は、全国の300諸侯がそれぞれの創意工夫で〝食ってゆく〟こと。自立自存を目指した。ところが明治維新で中央集権体制が復活。以来、税金の流れや権限移譲を進める地方分権は、掛け声ばかりで今も進まないまま。貧富の差や中央と地方の格差は広がるばかり。過疎化によって維持が困難になった限界集落の出現にも歯止めがかからない。
「ここまで不均等になった国土を再生させるには、各地方であらゆる機能を集約させた『コンパクトシティー(中核都市)』の形成を目指すべだと思う。そこには保育園から大学、病院、お寺、商工業と全部が揃っている。これは戦国大名が『城下町』を築いた発想です。(家康がつくった)江戸幕府の藩はどんなに小さくも藩校を持っていました。医療、教育、社会保障を各藩が自立してやっていたのです。今こそそれに学べ、ですね」
安部龍太郎(あべ・りゅうたろう)
1955年6月、福岡県出身。久留米工業高専卒。東京・大田区役所勤務を経て、88年「師直の恋」を発表。90年「血の日本史」で単行本デビューした。2005年「天馬、翔ける」で中山義秀文学賞、13年「等伯」で第148回直木賞を受賞した。主な著書に「信長燃ゆ」「宗麟の海」など歴史小説を中心に精力的に活躍している。ライフワークとする「家康」は文庫版1~6巻を12月までの毎月、順次刊行。
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