梓ゆかせ(あずさ・ゆかせ) フリーライター
1968年京都市出身 地方紙記者から、フリーライターへ。事件、スポーツ、芸能・文化などの分野で執筆活動を行う。
※プロフィールは、論座に執筆した当時のものです
直木賞作家・安部龍太郎さんがライフワークの『家康』で描きたいこと
これまでの家康像といえば、神様(神君)として、崇め奉られたた江戸時代の姿。あるいは、権謀術数を駆使して豊臣家を滅亡に追い込んだ「天下の簒奪者」のイメージだろう。
「どちらもバイアスがかかっている。特に後者は、江戸幕府を否定したい明治政府が、わざと“作りあげた”ものですよ。僕は『タヌキ親爺史観』と呼んでいますが、そのイメージを覆したい。天才の信長や頭がものすごく切れる秀吉に比べると、家康は『凡人』です。幼いころは織田、今川で人質生活を余儀なくされ、家族との縁も薄かった。辛酸を舐めながら、螺旋階段を上るように少しずつ人間的成長を重ね、ついには政治的にも名人になったのです」
安部さんが描く家康は、なかなか人間臭い。生き馬の目を抜く戦国時代にあって、非情に徹しきれない男。何度も騙され、裏切られ、叩きのめされる。幼時に生き別れた母親(於大)に冷たくあしらわれながらも、ぐっと耐えて関係を切ることはない。家臣団には〝言いたい放題〟を許し、意見具申はしっかりと耳を傾ける。それは一度、敵側に寝返った家臣でさえも、だ。現代のサラリーマン社会に置き換えれば、まさに「理想の上司」だろう。
「家康は、みんな(家臣)に自由に意見を言わせて、その中から正しい意見を取る。そして、いったん決断したら変えない。家臣団にとっても、『自分たちがしっかり支えないとあの人(家康)はダメだ』という雰囲気があった。主従の結束は極めて固かったと思いますね。家康が掲げた、理想の世の中は『厭離穢土(おんりえど)、欣求浄土(ごんぐじょうど)』。それは、人間の最大の欠点である『敵意とエゴイズム』を排除した社会でした」
安部さんの人生も、どこか家康と似ているかもしれない。
10代後半で作家を志したが、デビューまでの道のりは遠かった。福岡県から上京し、区役所に8年間勤務。家族に「2年間だけ(小説に)挑戦させてほしい」と頼み込み、29歳で役所を辞めたが、結局、4年間も無収入を余儀なくされた。
やっと新聞連載のチャンスをつかんだものの、行き詰まって「もう明日の分の原稿がない」と、ギリギリまで追い込まれて夢遊病者のように線路脇をさまよったことも。手応えらしきものを感じることができたのは、信長や家康と同時代を生きた絵師、長谷川等伯の波乱の生涯を描いた『等伯』(2012年)で、翌年の直木賞に輝いたときだった。57歳になっていた。
「この作品でダメだったら、もう作家を辞めようと思っていました。書いている途中に東日本大震災(2011年)が起きて被災地の悲惨な状況を目の当たりにして、僕が小説を書く意味を改めて考えたのです。どんなに辛い目に遭っても人間には希望がある、生きていく意味がある、ということを読んだ人に感じてもらいたい。そんな作品にしないと、書く意味がないと思いましたね。それから(連載中だった『等伯』の)内容も随分、変わりました」
いま世界は、新型コロナウイルの感染拡大を止められず、人々は苦しみの中にいる。社会や生活様式は一変。安部さんも次回作のために予定していた海外取材がすべて中止になってしまった。
「新型コロナ禍が起きたのも僕は、人間が持つエゴイズムと敵意の発露の結果ではないか? という気がしています。つまり、踏み込んではならない所まで人間が入り込んで環境破壊などが進み、〝パンドラの箱〟を開けてしまったのではないのか…と。これから文学も変って行かざるを得ないと思います。目の前に悲惨な現実があるのに、悪や恐怖は書きにくいでしょう。こういう時こそ、人間の良さや希望、問題突破力が求められる。文学にはその力があると、僕は信じています」