70年代ユーミンの転換――「終わり」の歌から「終わりを信じない」歌へ
そこはリゾート天国
1980年代前半のユーミンは逞しい。その幕開けが、80年暮れに発表された『SURF & SNOW』である。酒井順子は、このアルバムには「若さと恋愛の軽みと楽しさ、そしてちょっとした悲しみがぎゅっとつまっている」と評した(『ユーミンの罪』、2013)。さりげないが実に重要な指摘で、それまでのユーミンのラブソングがどちらかというと、恋愛がもたらす内面の痛みや不安に焦点を当てていたのに対し、『SURF & SNOW』のリゾートソングは、恋愛に伴う娯楽的な楽しさや高揚感を多く描いている(「ちょっとした悲しみ」は絶妙なスパイスになっている)。
つらい恋愛は傷になるが、楽しい恋愛は癖になる。楽しい恋愛なら何度でもしてみたい――。初期のユーミンが「終わり」を強く意識していたのとは反対に、この時代の彼女は何度でも恋を繰り返すことを是とし、好景気の中でラブマニアへ変じていく人々の潜在意識を言い当てた。確かにリゾートは恋を繰り返すにはうってつけの場所だった。

松任谷由実の日本武道館でのコンサート=1990年6月19日
アルバムを代表する曲は文句なく「恋人がサンタクロース」。タイトル通りの歌詞にはミソがある。“サンタクロースの正体は恋人だった”ではない。恋人は毎冬サンタクロースになって(プレゼントを抱えて)何度でもやってくるという意味なのだ。
そう考えれば、アルバム全体がリゾートをテーマにしていることの本当の意図も見えてくる。夏は浜辺に冬は雪山に、人は繰り返し出かけていく。この楽天的な反復性、これが『SURF & SNOW』の明るさと楽しさの本質をつくりだしていた。
Resortとは、「再び」を意味する接頭詞“re”と、フランス語の「出かける」という意味の“sortir”の略である“sort”が合わさった言葉だという。つまり「何度も出かける場所」。原義に避暑や避寒、行楽や休息のための場所という限定はない。ただ何度も訪ねる場所とは、その場所に人を引きつけるだけの理由や魅力があることが含意されている。
バブル期の日本国内で、リゾート開発をいくつも手がけた浜野安宏がこう書いている。
だから、リゾートというのは何かするものではなく、そういう時間に帰る――ある充実した倦怠というか、充足した堕落というか、そういう状態の中に自分を何度も戻すということだと思う。
何度も帰っていきたい時間、帰っていきたい場所という概念――リゾートという言葉はそこから出てきている。(『リゾート感覚――体験的リゾート・ビジネス論』、1988)
浜野が言っていることの一つは「再生」であり、もう一つがリゾートの原義である「反復」である。ヴァルター・ベンヤミンによれば、「反復」は子どもの遊びを駆動する原理だが、無際限に繰り返したいという欲望は、高度消費社会がもっとも巧みに操作しえた幼児的情動である。言うまでもなく、80年代バブルは「反復」の欲望に駆動されていた。人々は快楽を繰り返し追求し、その性向は社会と文化の空気になった。
その結果、日本社会は――欧米の伝統あるリゾートとは異なる文脈で――リゾートの夢を見るようになった。1987年、日本では「リゾート法」(総合保養地域整備法)が制定され、翌年には36道府県が大規模リゾート開発の構想を持つに至った。その多くがバブルの崩壊とその後の長期不況によって潰えていったのは周知の通りである。

大ヒットした映画『私をスキーに連れてって』の公開から30年後の2017年、映画はJR東日本のキャンペーンポスターに使われた=JR東日本提供
もちろん、『SURF & SNOW』はこうした国と地方のずさんな開発行政とは何の関係もないが、間接的にリゾートブームに一役買ったことは否めない。アルバムがリリースされてから7年後、「恋人がサンタクロース」を主題歌とする映画『私をスキーに連れてって』(1987)が封切られると、多くの若者たちが真冬に信州や上越の山中まで重い道具をかついで出かけるようになる。ちょうど「自分探し」が静かなブームになりつつあったとき、一方では、異性の相手を探す若者たちに向けて賑やかなブームも仕掛けられていたのである。