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高層ビルが並ぶ釜山のビーチで思ったこと

「まさかここがこんなに発展するとはなあ……」という日本語が聞こえてきて

ミン・ヨンチ ミュージシャン 韓国伝統音楽家

 今日は、久々の釜山。韓国第二の都市に来た。

 そして、これまた、久々の釜山市立国楽管弦楽団。Odysseyという私が作曲したチャングと国楽管弦楽とのコンチェルトがあるのだが、それを演奏することになった。

コンサートのチラシ。題名を直訳すると「かき氷のような涼しいコンサート」。韓国語のニュアンスでは、ベタなギャグの入った題名のようにも思える。そういう感覚も大阪と似ているのかもしれない

 この時期に、ありがたい。

 今日はまだ、8月中旬、そしてあいにくの雨……。それもザーザー降りの大雨。今年の日本もそうであった、あの長期の梅雨が、そう、まだ韓国では続いているのです……「もうエエわ!」というくらい降りますね、今年の雨は、ホントに。

ソウルと釜山、東京と大阪

 ソウルと釜山は、日本で考えると、東京と大阪に似ている。

 距離も450kmくらい離れている。どちらも新幹線かKTX(韓国の超高速鉄道)で2時間半くらい。

 そして言葉の方言も似ている。ソウルは東京に似ていて、おとなしく少し女子っぽい気がする。それに比べて、釜山は大阪に似ていて、荒っぽく男っぽい。食べ物もそうかもしれないし、いろいろな文化の面でも、ソウルと釜山はまるで関東と関西を見ているような気になる。

 そんな釜山、街を歩いてみるだけで、ソウルよりも日本文化が沢山あるのを垣間見ることができる。

 繁華街には日本のラーメン屋、居酒屋、カレー屋さん、お寿司屋さんがいっぱい。地理的に近い影響もあるかもしれないが、釜山の人たちは日本が大好き!!

 航空便も船便もたくさんあるからね。たくさんの方たちが日本と韓国を行き来しています。

 日本で私の耳に聞こえる、韓国人旅行者たちの会話も、釜山の方言が結構多い。

ESB Professional/Shutterstock.com

高層ビルが見えるビーチ

 そんな釜山で何年か前に、感じた経験。

 海雲台(ヘウンデ)というビーチを見ながら、プールに入っていた時に、横にいた2人組のおじさんが大きな声の日本語で「こうなるとはなあ……まさかこうなるとはなあ……」と叫んでいました。

 目の前のヘウンデビーチには、たくさんの人がいてました。それを見て、「まさかなあ……この人たちが海に入るとはなあ……」とも。

 そして海沿いに見える、数々の超近代的高層ビルをみて、また何度も何度も「まさかなあ……まさかこうなるとはなあ……」

 私にはわかります。彼らが何を言おうとしているのかは。

 なぜなら、一昔前、20、30年前のヘウンデビーチには、人は超少なかったし、近代的高層ビルも見えませんでしたから。

 多分彼らはその時の状況と比べて、言ってたのであろう。

Dmitry Rukhlenko/Shutterstock.com

 ちょうど私が韓国に留学していた、1980年代と、1990年代。

 その時の韓国は、現在の韓国や、その当時の日本に比べると、GDPもはるかに低かったでしょうし、インフラもまだまだ整備状態にありました。物価も安かった。

 なのでその当時から、日本から韓国に来ていた人たちには、韓国がまだまだ発展していないように見えたでしょうから、ここまで発展するとは、夢にも思っていなかったのでしょう。

貧しくとも、教育がしっかりしていれば…

 それだけだったら、まあ普通の笑い話なのだが、実際は、その二人のセリフはこうだった。

 「ここがこんなに発展するとはなあ……」
 「まさか、こいつらが海に入るとはなあ……嫌いや言うとったやないか!!」

 株で失敗したのでしょうか。商談がうまく行かなかったのでしょうか。

 確かに韓国の人たちは、肌が焼けるのが嫌いだったり、水が嫌いだったりで、一昔前までは海にはあまり入りませんでしたが、近年流行っている海外旅行などのせいでしょうか、ビーチにもたくさん行くようになりました。

 なのに高層ビルがみえる、人で賑わっている釜山のビーチを見た彼らは、こう叫んでいたのです。

 まさかこうなるとはなーー!!

 不思議な光景でした。

 で、なぜ彼らがそう叫んでいたのか? 私はこう思うのです。

 韓国の経済成長真っただ中の時代に、留学していた私には、その時からの親友が沢山います。

 彼らの思いと希望を知っていました。たとえGDPや経済力が低くても、その国や国民の志は低くないっていうことを。

 それはそれは立派でした。当時はみんなで一生懸命勉強して、この国を発展させてみようという意志がみなぎっていました。

 そして、その後、そういう人たちがたくさん成功して、韓国の社会に出て行き、作り上げたのですから。

 これらのことをおじさんたちは知らなかったのでしょう。

 たとえ、国が貧しくとも、教育がしっかりしていると、その国はいつかは必ず発展します。

レンガ造りの建物

 韓国好きの方の中に、こんな方たちもたくさんいらっしゃいます。

 「最近の韓国の都市では少し前の、レンガでできた建物とかがなくなってきて、新しいビルばっかりなのでさみしい」と。

 たしかに20~30年前の韓国のレンガ造りの建物とかの面影はなくなりました。その当時の韓国が好きだった人たちには、寂しいかもしれません。

ソウル近郊、1980年代頃のレンガ作りの家

 けどね、それには、理由があります。

 私も同じくレンガ造りの家が恋しかったので、親友にそういうふうに言ってみたことがあるのですが、こう答えてくれました。

 親友はそのレンガ造りの建物が、実はすきではなかったのだと……。本当は当時の先進国のようなビルにしたかったのだが、当時の経済状況ではできなかったので、やむを得ずそうしてたのだろうと。だからできたら早く建て直してほしかったんだと。

 その国に長らくいないと分からないものです。彼らがどう思っているのかは。

 何も建物の事ばかりではないでしょう。生活用品から、車や家まで先進国のようになりたかった。

 その国の経済水準が低いからと言って、その国の人たちを低く見てはいけません!! 特に途上国の外国人を安い給料で雇って、こき使っている人たち!!

 彼らは、成功しますよ。そしてある日、あなたの上に立ってあなたを見下ろしているかもしれません。

 久々の釜山で思ったことでした。

 さあ、これから、演奏してきまーす!!

 今日はここまで。

 P.S.

 あたらしいホーページが出来ましたので、ぜひ見てくださいませ!!