第1作「花の生涯」から考える大河ドラマの過去、現在、未来
2020年08月28日
コロナ禍の影響で撮影が一旦中断した大河ドラマ「麒麟がくる」。
急遽製作された中継ぎ特集番組「『麒麟がくる』までお待ちください 戦国大河ドラマ名場面スペシャル」で、放送された「独眼竜政宗」(87年)、「国盗り物語」(73年)、「利家とまつ」(02)、「秀吉」(96年)の名場面や裏話などが、当時視聴していなかった若者世代から「面白い」と評判になっているという。ヒットドラマの名場面なのだから、面白くて当然だよ……と思いつつ、観ればやっぱりぐいぐい惹きつけられる。日本を代表する大型番組として半世紀以上の歴史を刻んだ大河ドラマの底力を見た思いだ。
先日、私は日本のテレビ黎明期についてのインタビュー連載を『テレビの荒野を歩いた人たち』という本にまとめた。そこで1963年、大河ドラマ第1作「花の生涯」の現場について貴重な証言をいただいた。お話ししてくださったのは、今年4月、96歳で亡くなった俳優・久米明さんである。
「花の生涯」は、原作・舟橋聖一、脚本・北条誠、音楽・冨田勲。幕末の大老・井伊直弼(尾上松緑)の人生を描いた作品である。放送期間は4月から12月。1953年にテレビ本放送が始まってからちょうど10年。「映画に負けぬ大作を」という意気込みで企画された作品だけに、直弼の正室に八千草薫、側室に香川京子、他にも淡島千景、田村正和、芦田伸介、嵐寛寿郎など錚々たる顔ぶれが出演。中井貴一の父で二枚目映画スターの佐田啓二が、井伊家家臣となる長野主馬(主膳)役で出演したことも話題となった。
この作品で久米さんは、なんとタウンゼント・ハリス役だった。出番は伊豆から馬で江戸を目指すというシーン。セリフはほとんどなかったが、パテで鼻を高くして役作りをしたという。ハリスに同行する通訳のヒュースケンは、岡田真澄が演じた。
天下の大河ドラマでつけ鼻とは驚くが、当時はまだ「大河ドラマ」という名称もなく、NHKも民放各社も手探りの挑戦をしていた時代。映画会社が専属俳優をテレビには出さないと規定した「五社協定」を破った松竹の佐田啓二出演もNHKスタッフの粘り強い交渉の成果だったという。
東京五輪が開催された翌64年、現在と同様に1月から12月までの大河には「赤穂浪士」に長谷川一夫が大石内蔵助役で主演し、討ち入りが放送された回は50.3%という驚異的な最高視聴率を記録。庶民の娯楽の中心は映画からテレビに移っていた。
以前、私は67年の大河ドラマ「三姉妹」を取材したが、その出演者のひとりは、親しかった市川雷蔵に「テレビは面白いか」と聞かれたという。大映の代表的なスター雷蔵もテレビに興味を持っていた。大映の同期で仲が良かった勝新太郎は、「『麒麟がくる』までお待ちください」の「独眼竜政宗」の名場面に迫力満点の秀吉として登場している。69年に37歳の若さで没した雷蔵がドラマに出ていたら、どんな姿だったかと想像したくなる。
こうした経緯を経て、国民的番組といわれるようになった大河ドラマは、さまざまな形で「時代を映すドラマ」となってきた。
映画スターを中心に大物俳優がどっしりとした存在感でドラマを引っ張った60年代から、70年代には、「元禄太平記」(75年)の石坂浩二、「風と雲と虹と」(76年)の加藤剛のようにテレビドラマで人気を得た俳優の主演作が増え、
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