三浦俊章(みうら・としあき) ジャーナリスト
元朝日新聞記者。ワシントン特派員、テレビ朝日系列「報道ステーション」コメンテーター、日曜版GLOBE編集長、編集委員などを歴任。2022年に退社
※プロフィールは原則として、論座に最後に執筆した当時のものです
日本人はなぜマッカーサーと米国の占領をあれほどスムーズに受け入れたのか
マッカーサーが日本に進駐してから約1カ月後の1945年9月29日。
この日の朝刊を読んだ日本国民は腰を抜かした。各紙の1面トップには、2日前にアメリカ大使館にマッカーサーを訪ねた昭和天皇の写真が掲載されていた。
モーニング姿で直立する短身の天皇の横には、長身のマッカーサーが、開襟シャツの軍服姿で並んでいる。しかも、くつろいだ様子で腰に手を当てている。
「ほとんどの国民はこの一枚の写真によって、あらためて日本は敗けたのだと知らされ、日本の支配者が誰であるかを思い知らされたのだといえよう」(同書、109ページ)
マッカーサーほど、自分がどう見られているのかを強烈に意識した軍人はいない。日本に進駐したときにすでに65歳であった。その特異なキャリアを確認しておこう。
1880年にアメリカ南部のアーカンソー州に、南北戦争に従軍した父アーサー・マッカーサーの次男として生まれる。父親は南北戦争で陸軍中佐に上ったが、その後は軍歴にめぐまれず、ぱっとしない生涯を送った。亡くなったとき、遺体に軍服を着せないこと、葬儀は陸軍と関係なく行うこと、を遺書に記していた。父親の無念をはらすことが、同じ軍人の道に進んだ息子の原動力となっても不思議ではない。
ダグラスの経歴は卓越している。