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戦後日米関係の原点としての『マッカーサーの二千日』(袖井林二郎)

日本人はなぜマッカーサーと米国の占領をあれほどスムーズに受け入れたのか

三浦俊章 朝日新聞編集委員

敗北を思い知らされた1枚の写真

 マッカーサーが日本に進駐してから約1カ月後の1945年9月29日。

 この日の朝刊を読んだ日本国民は腰を抜かした。各紙の1面トップには、2日前にアメリカ大使館にマッカーサーを訪ねた昭和天皇の写真が掲載されていた。

拡大米陸軍が撮影、報道各社に配った昭和天皇とマッカーサーの写真
 モーニング姿で直立する短身の天皇の横には、長身のマッカーサーが、開襟シャツの軍服姿で並んでいる。しかも、くつろいだ様子で腰に手を当てている。

 「ほとんどの国民はこの一枚の写真によって、あらためて日本は敗けたのだと知らされ、日本の支配者が誰であるかを思い知らされたのだといえよう」(同書、109ページ)

 マッカーサーほど、自分がどう見られているのかを強烈に意識した軍人はいない。日本に進駐したときにすでに65歳であった。その特異なキャリアを確認しておこう。

 1880年にアメリカ南部のアーカンソー州に、南北戦争に従軍した父アーサー・マッカーサーの次男として生まれる。父親は南北戦争で陸軍中佐に上ったが、その後は軍歴にめぐまれず、ぱっとしない生涯を送った。亡くなったとき、遺体に軍服を着せないこと、葬儀は陸軍と関係なく行うこと、を遺書に記していた。父親の無念をはらすことが、同じ軍人の道に進んだ息子の原動力となっても不思議ではない。

 ダグラスの経歴は卓越している。

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筆者

三浦俊章

三浦俊章(みうら・としあき) 朝日新聞編集委員

朝日新聞ワシントン特派員、テレビ朝日系列「報道ステーション」コメンテーター、日曜版GLOBE編集長などを経て、2014年から現職。

※プロフィールは原則として、論座に最後に執筆した当時のものです

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