2020年09月02日
6月16日付のツイートでは、勤労奉仕に動員された少年が、朝鮮人労働者たちが「日本は負ける」と話しているのを聞いたとツイートしている。労働者たちの話す言葉から朝鮮人だとわかったとのツイートもあり、大きな蛇を取り合い、中学生が勝ったとの記述もある。8月20日のツイートでは広島から東京へ向かう列車で移動中の少年が、大阪で朝鮮人たちが大勢、傍若無人な様子で列車に乗り込んできたと記述。敗戦国と戦勝国の差を感じさせて悔しいという記述になっている。
少年のツイートのもとになった日記には、6月16日の記述に朝鮮人に関係したものはない。また8月17日から8月27日の日記は空白でいっさいの記述はない。日記に記述はない部分についてNHK広島放送局は日記以外の記録や当時を知る人の証言によって構成したとしているが、6月16日についても8月20日についても具体的な記録や証言を明示しているわけではなく、当時の記録や証言によったとしていると一般論を述べるにとどめている。NHK広島放送局は指摘を受け「配慮に欠けた」として「今後は注釈を付けるなどの配慮をする」という見解を8月24日に示している。
当該ツイートは何が問題だったのか。なぜヘイトスピーチを誘発するとされたのかは、NHK広島放送局の見解を読んでも判然としないところがある。NHK広島放送局が激しい非難をされたことの理由を十分には認識できていない可能性も感じられる。
非難が沸き起こった当初は「朝鮮人」という単語が問題視されたという論評もあったが、これは論外だ。朝鮮人という単語が差別語なのではなく朝鮮人と言う単語が差別的な文脈で使われることが非難されるべきであり。当該ツイートが「朝鮮人」という表現を使っていることが非難されたわけではない。1945年当時の差別意識をそのままツイートすることに問題があるという指摘もある。確かにその指摘は非難の幾分かの内実を言い当てている。が、私は当該ツイートが果たして日付を伴った表現としてふさわしいかどうかに疑問を持っている。論評のなかには、戦争を語る時に被害者の意識ばかりが肥大し、加害者の視点に欠ける当該ツイートが非難されたというものもある。正論ではあるが、6月16日と8月20日のツイートが大きな非難を浴びた理由としては、一般的な批判として対象範囲が広がりすぎている。
当該ツイートが非難された理由は、1945年当時の13歳の少年の日記としながら、21世紀に入って日本社会で広く流布された朝鮮人を巡る偏見やデマが混入しているのではないかという疑いが濃いからだと考えている。私が当該ツイートを最初に読んだ印象で言えば、いったいどんな資料をもとにツイートを作ったのだろうという深い疑問だった。
まず6月16日のツイートだが、ささいな言動で治安維持法違反などの容疑をかけられ拘引、勾留、有罪判決を受け服役、時には獄死することもあった戦争末期に、日本人の中学生の耳に入るような声で「日本は戦争に負ける」と朝鮮人労働者が言うだろうか? という疑問だった。もしそのような発言があったとして、その発言は何語でされたのだろうという疑問だ。当時の内地(広島)の中学生が朝鮮語を理解したのだろうか? 朝鮮人があるいは日本語で話したとしたら、なぜそんな危険を冒したのだろう? と首を傾げる。当該ツイートには「言葉から朝鮮人と分かる」という表記もある。前述のようにモデルの日記の6月16日には朝鮮人に関する記述はない。思い出の中で、あの時朝鮮人は日本の敗戦についてもう話をしていたに違いないと、想像が付け加えられる可能性はないとは限らない。だとしても、なぜ6月16日という日付に朝鮮人労働者の姿を付け加える必要があったのかはNHKの説明なしには理解することができない。
6月16日のツイート以上に、多くの人の怒りをかったのは8月20日のツイートだ。率直に言えば、ここ数年、ヘイトスピーチに抗議してきた人々にとってはあまりにも見慣れた、戦後の朝鮮人に関するデマにそっくりだったのである。デマのさいたるものは
有料会員の方はログインページに進み、朝日新聞デジタルのIDとパスワードでログインしてください
一部の記事は有料会員以外の方もログインせずに全文を閲覧できます。
ご利用方法はアーカイブトップでご確認ください
朝日新聞デジタルの言論サイトRe:Ron(リロン)もご覧ください