NHK広島放送局は「配慮に欠けた」と見解
少年のツイートのもとになった日記には、6月16日の記述に朝鮮人に関係したものはない。また8月17日から8月27日の日記は空白でいっさいの記述はない。日記に記述はない部分についてNHK広島放送局は日記以外の記録や当時を知る人の証言によって構成したとしているが、6月16日についても8月20日についても具体的な記録や証言を明示しているわけではなく、当時の記録や証言によったとしていると一般論を述べるにとどめている。NHK広島放送局は指摘を受け「配慮に欠けた」として「今後は注釈を付けるなどの配慮をする」という見解を8月24日に示している。
当該ツイートは何が問題だったのか。なぜヘイトスピーチを誘発するとされたのかは、NHK広島放送局の見解を読んでも判然としないところがある。NHK広島放送局が激しい非難をされたことの理由を十分には認識できていない可能性も感じられる。
非難が沸き起こった当初は「朝鮮人」という単語が問題視されたという論評もあったが、これは論外だ。朝鮮人という単語が差別語なのではなく朝鮮人と言う単語が差別的な文脈で使われることが非難されるべきであり。当該ツイートが「朝鮮人」という表現を使っていることが非難されたわけではない。1945年当時の差別意識をそのままツイートすることに問題があるという指摘もある。確かにその指摘は非難の幾分かの内実を言い当てている。が、私は当該ツイートが果たして日付を伴った表現としてふさわしいかどうかに疑問を持っている。論評のなかには、戦争を語る時に被害者の意識ばかりが肥大し、加害者の視点に欠ける当該ツイートが非難されたというものもある。正論ではあるが、6月16日と8月20日のツイートが大きな非難を浴びた理由としては、一般的な批判として対象範囲が広がりすぎている。