性暴力を告発・非難する「表現の自由」を取り戻す戦いだ
2020年09月01日
フリージャーナリストの伊藤詩織氏が、SNSで誹謗中傷を受けたとして、衆院議員の杉田水脈氏(自民党/比例中国ブロック)と、元東京大学特任准教授の大澤昇平氏を東京地方裁判所に提訴しました。
伊藤氏は、元TBSワシントン支局長・山口敬之氏から性的暴行を受けたと告発した件について、ネット上で膨大な量の誹謗中傷を受けているのは周知の事実かと思います。6月には漫画家のはすみとしこ氏等を相手取り提訴していますが、今回もそれに続き、繰り返される二次加害・三次加害に対する提訴に踏み切った形です。
この提訴がニュースとして報じられると、はすみ氏を提訴した時と同様、インターネット上では応援や励ましの声が多数寄せられました。自身の名誉回復のみならず、「被害者が声をあげにくい構造を変えていきたい」という伊藤氏の社会的視点や志は、本当に素晴らしいと思います。全力で支持・応援したいと思った人は、きっとたくさんいることでしょう。
しかしその一方で、今回の提訴に対して、「言論弾圧」「言論統制」「言論封殺」という非難の声もあがっていました。提訴された大澤氏は、「左翼の言論弾圧は益々加速し、日本から言論の自由が奪われる」とTwitterで述べ、はすみ氏も「凄い言論統制だわ。彼女は立派なファシストだね!」と書いています。
ですが、本来「言論」とは、事実に基づき、自分の意見を論理的に述べることのはずです。「ハニートラップ」「枕営業」といった事実とは異なる言葉を用いて、公人ではない伊藤氏を罵ることは、もはや「言論」の範疇には入りません。
たとえば、大澤氏は6月13日に「具合悪そうだから介抱したのに急に『レイプされた』とかファビョり出して社会的地位を落としにかかってくるのトラップ過ぎるし、男にとって敵でしかないわ。」とTwitterで投稿していますが、これのどこが「言論」だと言うのでしょうか?
また、「言論封殺」「言論弾圧」「言論統制」というのは、基本的に、権力や権威を有する者が、市民や社会的弱者に対して行うという構造を表した言葉のはずです。権力や権威を持っているとは思えない私人の伊藤氏が民事で争うこと(しかもまだ提訴をしただけで結果が出ていない案件)に対して用いるのは、明らかに誤用です。
以前書いた記事、「木村花さんの死にも懲りない、批判と誹謗中傷の違いが分からない人たち」でも述べたように、彼らがしているのは、「言葉のカスタマイズ」による誹謗中傷や差別発言の自己正当化だと思います。
自分の発言は単なる誹謗中傷や差別発言に過ぎないのに、言葉の意味を歪曲して、「言論」だと言い張るわけです。そして、その中傷や差別と戦う姿勢を示すと、「言論弾圧だ」と叫んで抵抗しようとするのは、彼らの常套手段だと言えるでしょう。
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